「“もうひとつの”まごチャンネルの物語」パナソニック大西正朗さん -前編-
「1年間ベンチャーを経験して、挑戦することに抵抗がなくなりました」。
パナソニックの大西正朗(おおにし・まさあき)さんは、そう話してくれました。大西さんは現在、同社で新規事業に取り組みながら、自身の大きな変化を感じていました。というのも1年前、ベンチャーに行くまでの大西さんは、自他共に認める“超保守的な人間”だったからです。
大西さんがなぜ、保守的な人間から、挑戦できる人間に変われたのか…?
その1年間に迫ります。
—プロローグ
2020年1月。
ここは、大阪にある、パナソニック アプライアンス社 技術本部。
大西正朗(おおにし・まさあき)は、今日も営業の電話をかけていた。
「そちらで弊社の技術を活用できないでしょうか…?」
このところ、電話やメールで営業のアポイントを取り、訪問する日々が続いている。
そこに“やらされ感”はない。大西は自らアクションを起こしていた。
大西の上司やチームメンバーも、一丸となって動いている。
大西が所属するのは、テレビのディスプレイ開発を行っている部門。
変わりゆく時代の中で、テレビ業界は今、大きな変革を迫られている。
大西が所属する部門にも、長年培ってきた技術や経験を活かし、新たなサービスを創出する、というミッションが降りてきていた。
会社から求められているのは革新的な新事業。
現状、そのシナリオは存在しない。出口探索を行っている状態である。
そこで、まずはユーザー調査をすべく、新規で電話をかけ、アポイントを取っていた。
当然、今までは営業電話などかけたことはない。積極的な動きを見せる大西だが、もともとは、自他ともに認める保守的な人間だった。決められた仕事の中で成果を出すには十分な能力を持っていたが、価値創造は苦手だった。
しかし今は、仕事の幅も役割も境界がなく、ゴールさえも見えない中で“問題なく”動けている。しかも率先して、である。
「1年前の自分だったら、こんな状況、逃げ出していたかもしれない。でも今は違う。なぜなら…」
大西が変わったのは、1年間のベンチャーでの経験によるものだった。
不確実な中でのチャレンジが、大西を変えた。
「早く世の中に出せるサービスをつくりたい…」
1年前までの“保守的な大西”はどこかに消え、今は、挑戦する姿しかない。
—研究者の父を見て
大西の父親は、エネルギー関連の研究者だった。
その背中を見てきた大西が、研究に興味を持つのは必然だった。大学では機械工学を学び、研究に没頭する。しかし、研究をし続ける大変さもわかっていたため、そのまま研究を続けるという選択肢は持っておらず、いつしか、幼少期から興味が強かったプロダクト開発の世界に惹かれるようになっていった。
就職活動の時期になると「早く社会に出て、プロダクトをつくりたい」という思いは、より強くなっていく。そして、たくさんの人を喜ばせるプロダクトを生み出せる企業、グローバル展開ができる環境、という理由でパナソニックを志望。京都出身ということもあり、関西で就職したいという思いもそこに重なった。
そして見事、合格した。
入社後に配属されたのは、大西本人も望んでいた、テレビ部門。
最初の数年は、ひたすら業務をこなす忙しい毎日を過ごしていた。
朝から晩まで仕事に明け暮れ、あっという間に過ぎていく日々。
その後は、より専門的な要素技術(製品の開発に必要な基礎技術)を開発する部門に配属になり、テレビの新モデルを設計するようになった。同部門を数年経験した後は、モジュール開発の部門に移り、開発業務から、事業部に寄り添ったプロダクトの設計にも携わるようになる。年数を重ねるごとに、仕事の幅は広がったものの、結局は、テレビ事業の中だけでの出来事だった。
—みんなは挑戦している。自分は変わっていない。
大西は上司から、「安心感がある」という定評があった。
自分でも認識している。同時に「言われたことはこなせる。でも新しい価値を自ら生み出せない…」というジレンマも抱えていた。
それは、新しい動きが求められている、ということも当然あるが、テレビ部門に配属された同期の仲間や先輩が、次々に社内外で新しいことに挑戦している姿を目の当たりにした、ということも影響している。中には起業した者も、社内の別部門で活躍している者もいる。
「自分だって、サービスを世に出したいという思いでこの会社に入ったのに、身動きできないでいる」
活躍する仲間を応援しながらも、大西はモヤモヤしていた。
「自分は来年もこのまま同じことをするのかな…?」
そんなことをぼんやりと考えたりもした。
そんな時に、社内のイントラで、ある動画を視聴する。それは、「レンタル移籍(※ パナソニックでは「社外留職」制度として導入)」についての動画。大企業で働く自分と同世代の人がベンチャーへ行き、事業開発を経験した、ということが語られていた。
「そうか、ここ(パナソニック)にいながら外の世界が見られるのか…。保守的な自分にぴったりだ」大西はそのコンセプトに強く惹かれた。
…とはいえ、きっと多くの応募者がいるだろう。
「まずはエントリーするだけでも第一歩だ」
大西はそのくらいの気持ちで応募した。
———それからしばらくして。
人事部門と面談を受けた大西は、自分が合格したことを聞かされる。
「まさか本当に合格するとは思っていなかった…」
のちに大西はそう語る。
しかし、頑張って踏み出した一歩。
やるしかないと覚悟を決めた。
—「もっと仕事を取りに来ないと」
2019年夏。
大西のレンタル移籍先は株式会社チカクに決まった。
チカクは、スマホで撮影した子どもの動画や写真を実家のテレビに送れる「まごチャンネル」を開発・販売しているベンチャー企業。
数あるベンチャーの中から、自ら希望した。
プロダクト開発からサービス化まで、ワンストップで経験できる機会を望んでいたこと、そして、面談でチカクに行った際に触れたアットホームな雰囲気と、その一体感に惹かれた。
* * *
2019年10月。
大阪から東京へ引っ越し、1年間の移籍が始まる。
大西は「早くみんなの力にならなきゃ」という思いで、チカク共同創業者の佐藤に付いて、仕事を覚えた。最初は、データーベースやサーバーなど、とにかくIT用語がわからない。楽しさや刺激を感じる余裕もなく、「なんとか覚えなきゃ…」と必死な毎日。
そんな大西に、佐藤は、「もっと仕事を取りに来ないと」と、周囲を見るように促した。今までは、決められた役割の中で成果を出す、というやり方が当たり前だった大西にとって、自ら”仕事を取りに行く”ということは、決して慣れたことではない。
しかし、周囲がやれてないと思うことを自ら手探りでやっていくことで、仕事もサービスも掴める、という佐藤のアシストでもあった。
大西は、佐藤の言うように、人手が足りず回っていなそうな部分のサポートを始めた。そして、調査や資料作成、顧客情報の整理など、やっているうちに、サービスの全体像や、課題も見えてきた。
自ら動いてみることで、周りも意見をくれるし、自身の知識拡充にもなる。アクションすることの重要性に気づき、大西は、少しずつ“取りに行く”ことを覚え始めた。
—「まごチャンネル」を喜んでくれた両親の話
移籍して1ヶ月が経とうとしている10月下旬。
オープンイノベーションの祭典である「Innovation Leaders Summit 2018」にチカクが出展した際、大西は説明員として参加した。今までは、顧客に向けて商品を直接提案したり、PRすることなんてなかった。
あるとしたら、大学時代のホテルでのアルバイト経験くらい。だから最初は緊張した。興味関心が異なる人々に、説明を適宜変えて対応するというところまでは、なかなかうまくいかなかった。
そんな時に大西ができること。
それは自身の”体験談”を話すことだった。
移籍が始まる2ヶ月前。
大西家には第一子となる子どもが生まれた。ちょうどその頃、チカクを知った大西は、「まごチャンネル」を購入し、ユーザーになっていた。
離れて暮らす両親に送ったところ、「もう、まごチャンネルがない世界は考えられない」というくらい気に入ってくれていた。それらのエピソード含め、ユーザーとして良いと思う点をストレートに話した結果、前向きに購入を検討してくれた人までいたのだ。
心から嬉しかった。
そして
「自分でも、自信をもって紹介できるサービスをつくりたい」
と、強く感じたのだった。
「Innovation Leaders Summit 2018」にて
———しかし。
そう簡単にサービスはつくれるものではない。
大西は、この後、未だかつてない”生みの苦しみ”を経験することになるのだった‥。
【レンタル移籍とは?】
大手企業の社員が、一定期間ベンチャー企業で事業開発などの取り組みを行う、株式会社ローンディールが提供するプログラム。ベンチャー企業の現場で新しい価値を創りだす実践的な経験を通じて、イノベーションを起こせる人材・組織に変革を起こせる次世代リーダーを育成することを目的に行われている。2016年のサービス開始以降、計32社78名以上のレンタル移籍が行なわれている(※2020年1月実績)。
協力:パナソニック / 株式会社チカク
storyteller:小林こず恵