「コミュニケーション力を鍛えたら、できることもやりたいことも増えた」パナソニック株式会社 松井賢司さん
目次
全体に関わる仕事で、達成感を感じたい
——松井さんはパナソニックではカーナビの開発にかかわっていたということですが。
はい、カーナビに組み込むソフトを開発していました。具体的には、スマートフォンなどのデバイスと接続した時の接続情報を通知する機能や、カーナビの自動点検ロボットの作成などを行っていましたね。
——レンタル移籍をしようと思った理由を教えてください。
カーナビの開発は業務が細分化されていて100人近い人が関わるため、自分一人が担当するのは全体のほんの1パーセント程度です。「自分が作ったカーナビ」と心から言えないことにもどかしさを感じていました。もっと小規模でもいいから、全体に関わる仕事をして達成感を感じてみたいと思ったことが理由の一つです。
自分が作った商品のエンドユーザーの顔が見えにくい立場だったことが二つ目の理由です。もっとお客さんの笑顔が見られる仕事であれば、よりやりがいを感じられるのではないかと思いました。
——放課後NPOを移籍先に選んだ決め手はなんでしたか?
以前から教育分野に興味がありました。大学生の時は塾講師のアルバイトをしていましたし、その楽しさが記憶に残っていたことが一つですね。放課後NPOの活動のように直接子どもたちにアプローチして、フィードバックが得られるのはやりがいが大きそうだと思いました。面談をしてくださった代表理事の平岩さん、理事の島村さんの人柄が素敵だったことや、移籍前に身につけたいと思っていたスキルが身につきそうだったことも決め手です。
——どんなスキルを身につけたかったのでしょうか。
マネジメント力とコミュニケーション力です。まずマネジメント力ですが、パナソニックではプロジェクト全体を見渡す仕事はかなり年次を重ねないと任せてもらえないんです。放課後NPOのような規模の組織であれば、自分でもマネジメント業務を経験する機会がありそうだと考えました。
小さな組織なので、メンバーとの横のつながりが密になるだろうとも思っていましたね。僕自身、パナソニックでは自分一人で完結できる仕事が中心だったこともあり、一緒に働いている人とのつながりは必要最低限でした。でも、そこが身に付いたらもっと業務の可能性が広がっていくんじゃないかと感じていたので、コミュニケーション力を高めたいとも考えていました。
正解が一つじゃない、終わりがない仕事
——放課後NPOではどんな業務を担当していたのでしょう?
放課後NPOには「アフタースクール事業」と「ソーシャルデザイン事業」という2つの事業があり、そこで培ったノウハウをもとに自治体や放課後運営スタッフを支援する「開発事業」もあります。アフタースクール事業は小学校施設を活用し、放課後の子どもたちの居場所づくりを行うもの。僕のメインの担当はソーシャルデザイン事業だったため機会は多くなかったのですが、たまに現場に足を運び、子どもたちにプログラミングを教えたり、グラウンドで一緒に遊んだりしていました。
ソーシャルデザイン事業は、子どもたちが多様な人と関わり合いながら新しいことにチャレンジし、自分の好きなことや得意なことを見つける体験を全国に届ける事業。子どもたちにこういう思いを届けたい、こんなことを伝えたいと考えているさまざまな企業や団体と連携しながら進めます。
僕が最初に担当したのは、メガネのメーカーさんと連携して目の大切さを子どもたちに教えるプログラムです。企画のプロトタイプができていた段階で参加し、アイデアを提案しながら具体的な内容を考えていきました。年に12回、コロナの状況を鑑みてオンラインのイベントを行ったんです。
具体的には、放課後NPOのスタジオから小学校や学童等に映像を配信して、視聴している子どもたちと相互コミュニケーションをするという内容です。「目の不思議」をメインテーマに、色の見え方の実験、目の錯覚の体験などを行ったほか、「目の中を探検しよう」というコンセプトで、小さくなって目の中に入っていって構造を解説する映像も配信しましたね。そうして仕組みを知ったあと、「明るいところで見よう」、「テレビやゲームは離れて見よう」といった、目を大切にする方法を教えました。
——一人でソフト開発をしていたパナソニックでの業務とは大きく違いますね。
まったく違いましたね。ソフト開発って、答えが決まっているんです。間違っていたらエラーが出るので正解か不正解かが客観的にわかるし、正解が出たらそこで終わらせて次に進んでいいというか。でも、放課後NPOは正解が一つじゃない。そのため終わりがない仕事でもありました。
届けるべきエンドユーザーは子どもたちだけど、クライアントは企業というのも難しい点でしたね。最初、僕は仕事として企業を満足させることを目的としていたので、メガネメーカーさんが「この内容でいきましょう」と言ったら、それで正解だと考えていたんです。
でも、僕と一緒に担当していたプロジェクトマネージャーの方はその上で子どもたちをより楽しませるにはどうすればいいか、時間をかけて考えようとしていて。90点を100点にしようとするのは工数がかかって大変なわりにそこまで変化しないと考える僕と、よく意見がぶつかっていましたね。
その時は、関係者以外の普段関わっていない人に声をかけて、実際にプログラムを実行してフィードバックをもらうことで、100点に近づけるようにしました。意図がちゃんと伝わるかを確認しながら客観的な意見をもらうこともできたし、自分たちだけで考えているよりも効率的で、いい方法だったと思います。
「パナソニックの松井さん」から、一緒に働く「仲間」へ
——お互いの意見をすり合わせて、新しいやり方を考えたのですね。
レンタル移籍開始当初、「放課後NPOのやり方にすべて適合していくのではなく、新しい風を吹かせてほしい」と言われていました。それであえて、プロジェクトマネージャーの方とは違うやり方をしっかり主張していたのもありますね。
マネジメントのやり方でも違いがありました。僕はある程度仕事を決めたら、あとはそれぞれが自分の仕事をまっとうするのがいいと考えていたのですが、当時はどんなことも全員で決めようとしていました。これはどっちがいい・悪いと単純に言える話ではありませんが、会議の回数が増えると自分の時間がとれなくなって仕事が進まなくなってしまうのではないか、必ずしもチームの全員が参加しなくてもいいのではないか、と提案しましたね。
——意見を交わしながら馴染んでいくのはコミュニケーション力が鍛えられそうです。
そうですね。最初の頃は大変で、モチベーションが下がったこともありました。放課後NPOのメンバーともちょっとずつ打ち解けてはいたのですが、自分でも距離を感じていましたし、「パナソニックの松井さん」として接してもらっているなと感じることもありましたね。
転機になったのは、移籍して数ヶ月が経った頃にあった団体内向けのファミリーデー。そこで動画配信の劇を上演したことで、一気に距離が縮まったと思います。劇の製作メンバーとは一緒に舞台を作り上げる体験を通して仲良くなれましたし、見た人も「劇、よかったよ!」と声をかけてくれ、そこから話ができるようになったんです。放課後NPOの仲間に加わることができたと感じた体験でした。
自分のキャラクターを知ってもらうこともできました。仕事中は雑談を多くするほうではないのですが、どっちかというとよくしゃべるほうなんですよ。ファミリーデーでの交流を通じて「マツケンってこういうキャラクターなんだ」「話してみると楽しい人なんだな」と思ってもらえたのかなと感じます。
ファミリーデーとは別の時ですが、劇で「マツケンサンバⅡ」を踊ったこともありましたね(笑)。おかげで社内のコミュニケーションがすごく円滑になりました。
関係ができていたから「小さな困りごと」が聞けた
——移籍から5ヶ月ほど経った8月からは、保険会社、食品メーカー、障害児支援など、たくさんの企業の案件に関わるようになっていったそうですね。どんな変化があったのでしょうか?
放課後NPOの環境に慣れるまではメガネメーカーの案件に専念していましたが、余裕が出てくるうちにいろんな仕事に関わるようになりましたね。放課後NPOの特徴として、直接の担当ではないプログラムにもヘルプで入ることが多いんです。「この日にイベントをするけど、人が足りていないので誰か助けてくれませんか」と人を探しているプログラムも多くて、なるべく積極的に参加するようにしていました。この頃にはたくさんの人と関係ができていたので、「マツケン入ってよ〜」と気軽に声をかけてもらうことも増えていましたね。
これはメンターの笹原さんがうまく導いてくれたおかげだと感じています。僕は性格的に、安定しているとそこからあまり変えたくないというか、今がうまくいっているならプラスアルファは求めず現状維持で満足するところがあったんです。
でも、笹原さんが「新しいことに挑戦してみましょう」と背中を押してくれました。
一歩踏み出せなかった背景には、「あまり詳しくないのに首を突っ込んだらかえって迷惑になるんじゃないか?」という不安もありました。でも、その不安も笹原さんが「みなさんきっと、多少迷惑がかかっても大丈夫だと考えてくれていると思いますよ」と言ってくれたおかげで気が楽になりましたね。
——コミュニケーションによるいい循環が生まれていますね。そのまま順調に過ごしていたんですか?
移籍後半になって、上司からは「爪痕を残してくれ」と言われました。それで最後の数ヶ月は、あえて業務を詰めすぎず、自由な時間を与えてもらったんです。そこではまず、一体みんなはどんな悩みを抱えているのかを調べないといけないと思い、いろんな人に話を聞くようにしました。
その中で出てきた悩みの一つが、イベント終了後に子どもや保護者に書いてもらうアンケートの集計が大変、という話です。そこで、プログラミングの知識を活かして手書き文字の読み取りツールを作成したり、アンケートをチェックボックス式にすることで機械的に読み取れる仕組みを考えたりしました。
それから、地方の学校でオンラインイベントを行う際、Zoomの設定を教えるのが難しいという悩みも。僕は趣味で動画編集をしているので、設定方法などをわかりやすくまとめたマニュアル動画も作成しました。
——どれもちょっとしたことだけど、現場で働く上ではストレスの大きな悩みですね。松井さんが放課後NPOの中に深く入り込んでいるからこそ、見えた課題だと感じます。
とにかくいろんな人に話を聞いて、自分が直接関わっていない案件でも悩みを聞き出せたら解決策を考えていましたね。コミュニケーションの力があったからこそできたと感じています。「困っていることありますか?」と尋ねても、関係ができていないと聞かれた人も打ち明けにくい。雑談の延長のような気軽さがあったからこそ、「ちょっとした困りごと」を話してもらえたのだと思います。
磨いたコミュニケーションスキルを発揮
——お話を聞いていて、充実した移籍の日々だったことが伺えます。移籍を振り返って、どんな点で成長したと感じますか?
目標としていたコミュニケーションスキルとマネジメント力がしっかり身についたと感じています。コミュニケーションを積極的にとっていこうと意識が変わりましたし、マネジメントでも全体や横の人のことを気にする習慣がつき、プロジェクト単位での全体像を見渡せるようになったと感じています。
——現在、パナソニックではマーケティング部門を担当しているそうですね。
自動車業界は自動運転などの技術が進歩する中で、いろいろなことが変化する転換点にあります。安全のための新たな法律や機能、規制などを調査し、営業部や事業部の方々に説明した上で、今後のトレンドを予測しながら新たな商材を検討する業務を担当しています。
——放課後NPOでの経験はどのように生きていますか?
現在主に関わっているプロジェクトは小規模で、一人で動きながらいろんな部署の人たちと適宜連携するもの。自分で決めないと動いていかないので、自主的に行動する必要があるのですが、放課後NPOで身につけたマネジメントスキルや積極的な行動力が生きていますね。
また、マーケティング部は営業本部の直下にあるのですが、僕はこれまで技術部でソフト開発をしていた人間。部署がまったく異なるので、知らない人ばかりなんです。知らない人とコミュニケーションをとるのって昔の自分だったらかなり大変だったと思うのですが、今は交流の場にも積極的に参加して、顔見知りを増やそうと動けています。放課後NPOでコミュニケーション力を磨いたおかげですね。
みんなにとって顔が浮かぶ存在でありたい
——1年ぶりにパナソニックに戻ってきて、気づいたことや課題はありますか?
組織の規模感が違うのでまったく同じように比較はできませんが、やはり放課後NPOはみんな顔見知りのような状態だったので、質問やお願いごとがしやすかったですね。対して、パナソニックは規模が大きいため知らない人も多い。特に現在はオンラインでのやりとりが主流ということもあって、ちょっとした質問をしたり、困った時に頼ったりするハードルが高いと感じます。さらに、交流が好きではない人もいるので。どんなふうにアプローチすればみんなが働きやすい環境を作れるか、常に考えていますね。
パナソニックには「カルチャー改革チーム」という従業員の働きやすさを考えるチームがあり、僕もメンバーに加わっています。懇親会などを行いながら、色々な部署の人が集まってつながりを作る方法を模索しているのですが、この中で一つ、僕が放課後NPOから持ち帰ったことを取り入れています。
それは、毎日の業務報告の際に一言日記を書いてもらうこと。業務内容とあわせて、「昨日は皆既月食を見ました」のように、一言書いてもらうんですね。そうすると人柄がわかって、仲良くなるきっかけができるんです。普段は関わりのない人が僕の好きなアニメについて書いていて、その話でちょっと盛り上がったこともありました。
——距離感が縮まるいい企画ですね!
もちろん、あくまで余裕があればと伝えてはいます。強制になるとお互いに大変ですから。今は書いてくれる人と書かない人が分かれてきたので、横のつながりを作るために何か別の方法はないか、模索を続けているところです。
——最後に、松井さんの今後の展望を教えてください。
やっぱり、パナソニックでもっとも課題に感じているのはコミュニケーションなんです。レンタル移籍の経験を通してその重要性を実感しましたし、もっと活性化させていきたい。そのために、まずは地道にいろんな現場に足を運んで、たくさんの人と顔を合わせて話しをしていきたいです。目指すのは、どんな人にとっても「名前を見た時に顔が浮かぶ存在になること」。部署を超えて、頼られる存在になりたいですね。
「意見を交わす大変さに、モチベーションが下がったこともあった」と、松井さんは1年間を振り返りながら正直に語ってくれました。しかし次第に打ち解けていき、最後は気軽に「ちょっとした困りごと」を聞き、その解決を行うまでになります。まさに、コミュニケーションが組織の可能性を広げたのです。
放課後NPOで自信をつけた松井さんは、パナソニックでもコミュニケーションを円滑化させるために奔走中。松井さんならきっと、すぐにみんなにとって「顔が浮かぶ存在」になるはず。コミュニケーションで働きやすい環境を目指す、松井さんの挑戦は続きます。
Fin