【第1章 転職、それとも島流し?】「売る」って甘くない!〜「排泄予測デバイス」と奮闘する1年3ヶ月の日々〜

<今回のストーリー>
「移籍者たちの挑戦」シリーズでは、大企業で働く社員が「レンタル移籍」を通じて、ベンチャー企業で学び、奮闘し、そして挑戦した日々の出来事をストーリーでお届けします。
今回の主人公は、NTT西日本から、排泄予測デバイス「DFree」を開発・販売しているベンチャー企業・トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社に移籍した新田一樹さん。新田さんは2017年7月から移籍を開始し、1年3ヶ月の移籍を終えて2018年10月に帰って来ました。そんな新田さんのストーリーを全4回でお届けしていきます。

2018年11月某日。
NTT西日本 本社のとある会議室。

新田一樹(にったかずき)は、ずらりと並ぶ社員の前でプレゼンをしていた。
1年3ヶ月に及ぶ「レンタル移籍」を終え、その報告をしている。
(※当初は1年の移籍予定だったが、途中で3ヶ月延長された)

移籍先は、東京都渋谷区(※移籍当時。2019年1月現在は千代田区)にあるトリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社。

排泄予測デバイス「DFree」の事業開発・販売に携わり、その経験を話していた。

新田は1年3ヶ月の目まぐるしい日々を回想し、言葉に力が入る。

「……売るって甘くない、そう思いました」

ー世界が注目するウエアラブルデバイスの事業開発に!

新田がレンタル移籍を経験したトリプル・ダブリュー・ジャパンは、排泄予測デバイス「DFree」を開発・販売しているベンチャー企業。

「DFree」は、装着することで排尿のタイミングをお知らせしてくれるウエアラブルデバイス。おむつ利用者がトイレを利用できるようになる自立支援はもちろん、介護者の負担軽減なども期待され、世界から注目を集めている。

新田はここで、当時、法人向けにしか展開していなかった「DFree」を個人向けに展開する事業を立ち上げた。

そして2018年7月、移籍終了直前。
様々な苦難を乗り越え、個人向け「DFree」のリリースまでこぎつけた。

しかしその道のりは、想像以上に大変なものだった……。

ー使命感と挑戦

2017年7月、新田の移籍生活が始まった。

レンタル移籍とは、一定期間ベンチャー企業で事業開発等に携わり、会社に戻った後、その経験を活かすという、株式会社ローンディールが提供する人材育成プログラム。

移籍後最初の1ヶ月間は、商品理解も兼ねて営業スタッフの現場同行などを行った。

環境、人、業界、仕事……、すべてが初めてのことだらけ。

訪問先の施設でも、初めて触れる介護現場や、入居者との接触に、どう対応して良いかわからず、戸惑うことも多かった。

新田の業務は、個人向け「DFree」の事業開発。
自身が中心となって、現場調査から、商品企画、開発設計、そしてプロモーションまで進めていかなければならない。

一刻も早く感覚をつかむ必要がある。
しかし、何からどう動いていいか分からない。

というのも、会社から新田へ具体的な指示がなかったからだ。
ここでは自ら考え、アクションを決めていく必要がある。
指示のない中で業務をした経験がない新田は、「早く慣れなければ……」と気持ちだけが焦っていた。

ーサラリーマンをしているなんて思っていなかった

新田は2007にNTT西日本に入社した。
今年で11年目を迎える。

そこに強い意志はなく、研究開発がやりたいという漠然とした想いと、スーツを着て仕事がしたいという憧れから入社を決めた。学校の推薦だった。

だから「この会社で何か成し遂げたい」という目標があったわけでもなく、むしろ「会社に染まったら終わり」くらいの気持ちでいた。そのため、10年以上も同じ職場にいるとは当時思ってもみなかった。

入社当初、先輩達と現場で電話の機械を設置しているところ。
写真一番左が新田

ー転職を覚悟。「島流しにしてほしい」上司に提案

新田は、小学生の頃からものづくりが好きで、理科の実験や技術工作に誰よりも夢中だった。それもあって高専に進み、電気工学を学んだ。

20歳でNTT西日本に入社し、最初の数年間は、広島、福岡などの地方にある関連会社でフレッツ光のインフラ構築のエンジニアとして勤務した。

その後は、もともと研究開発がやりたかったということもあり、つくばの研究施設に異動する。NTT西日本で展開するインフラの基盤を研究・開発しているセクションで、開発に携わった。しかし仕事を一通り経験し、慣れてきた数年後には、「そろそろいいかな……」という想いが生まれる。

この頃、新田は20代後半になっていた。
仕事という垣根を飛び越えて、自分の生き方を模索している時期でもあった。

「熱くなれるものを見つけたい……」
転職も考えた。もしこのままNTT西日本に残るのであれば、もっと少人数のグループ会社で新しいことにチャレンジをしてみたいと思った。

そこで、上司に「島流しにしてほしい」そう伝えてみた。
結果、グループ会社ではなく、本社勤務となる。

入社以来、地方ばかりに行っていた新田にとってはじめての本社勤務。
しかもサービス開発部門ということもあり、ここでできることをもう一度模索しようとそのまま残ることを決意。

しかし、心のどこかでずっと「そろそろ外の世界を経験したい…」という想いがあり、それは日に日に強くなっていった。

ーいつでも手を挙げられるように

ある日新田は、何か新たな経験ができるものはないかと、社内で実施している研修制度の一覧を見ていた。
ふと、「レンタル移籍」の文字が目に止まった。

「ベンチャー企業で事業開発の経験をする」と書いてある。
「これだ!」と思った。
募集開始まではまだ時間はある。新田はいつ始まってもいいように、エントリーシートを書いて準備していた。

そして募集が始まり、すぐさまエントリーした。
その意志や上司の理解なども手伝って、無事に採択された。

楽しみな気持ちと同時に、不安も過る。
正直、自分のスキルは社外では通用しないと思っていた。

今までやってきたことはNTT西日本の作られたインフラがあるからこそできること、ゼロから何かを作り上げる自信はない。
このレンタル移籍で、新規事業を立ち上げる経験をして、自信をつけたいと思った。

だからこそ、移籍先を検討する際も、その経験ができそうなベンチャー企業を強く意識した。加えて、できるだけ外の世界にいきたいという想いから、農業や食でグローバル展開している企業もいくつか気になった。

しかし、新田が心惹かれたのは、「漏らしちゃった……」というトリプル・ダブリュー・ジャパンのメッセージだった。サービス内容のキャッチーさに惹かれた。

結局、いくつかの企業と面談を行い、トリプル・ダブリュー・ジャパンに決めた。

面談でサービスを利用しているお客さんの映像を見せてもらい、「新しい介護」という領域に可能性を感じつつ、「一番やりがいを感じられそう!」と直感で思った。

きっと、はじめてのことだらけの環境で、気持ちも時間も相当割くことになるだろう。だったら、より貢献したいと思える領域で頑張りたい、そんな気持ちもあった。
それには、介護という分野はぴったりだと思った。

ー「困っている人たちのために……」

新田は学生時代、優等生とも不良ともオタク気質な人とも仲が良かった。
誰とでもコミュニケーションを取り、仲良くなれた。

その背景には「人が好き」というのが大きい。
「仲間のために何かしたい!」という想いも人一倍強く、旅行の思い出を動画にしたり、イベントの余興を作ったり、いつも率先して行った。

頼りにされることに喜びを感じ、強くやりがいを感じた。
時には自分を犠牲にしてでも仲間のために尽くしてしまうこともあり、大切な人にはできることを惜しまない。

高専時代に、はまっていたバスケのメンバとの最後の試合。
日々、仲間との練習に明け暮れていた。

だから今回の移籍で、困っている人たちの役に立ちながら、自分のチャレンジができる、という状況に強いやりがいを見出した。

しかし移籍して早々、「何をしていいか分からない」という状況に陥る。
自らで決断して動かないことには事業が何も進まない、そんな追い込まれた状況の中、時間だけが過ぎていった……。

第2章「社長に直訴」へ続く

 

協力:NTT西日本、トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社
storyteller:小林こず恵

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