【第2章 売上をつくれない】結果を出したい!〜お祭りの現場で見つけた、ビジネスをつくるヒント〜
今回の主人公は、株式会社オリエンタルランドから、全国のお祭りを支援するベンチャー企業、株式会社オマツリジャパンに移籍した大内花菜子(おおうちかなこ)さん。
大内さんは2018年6月から移籍を開始し、6ヶ月間の移籍を終えて2018年12月に帰って来ました。そんな大内さんのストーリーを全4回でお届けしていきます。
<過去記事>
第1章 このままじゃいけない
—お祭りの可能性を感じて
2018年6月。
大内のレンタル移籍がスタートした。
ちょうど各地で夏祭りが盛り上がる少し前、である。
大内はお祭りに積極的に行くタイプではなかった。近所でお祭りをやっていれば屋台に見たりはするものの、お祭りそのものを楽しむという経験はほとんどなかった。
だから、オマツリジャパンで日本全国に30万ものお祭りがあると聞いて驚いた。商店街などの規模の小さなお祭りも含めてだが、日々どこかでお祭りが開催されている。
大内の地元・福島には、お祭り好きでなくても地元の人なら知っている「わらじまつり」という有名なお祭りがある。しかし東京では知名度がない。
このように、まだまだ知られていないお祭りが全国にはたくさんあって、それらお祭りの知名度をあげていくことや、来場者の誘致、資金集め、お祭りを通して日本を元気にしていくオマツリジャパンの可能性を改めて感じた。
オマツリジャパンのメンバーとの1枚。前列向かって左側が大内。
—聞きなれない用語に戸惑う
大内のミッションは協賛事業の立ち上げだった。
オマツリジャパンでは、お祭りの協賛をアップデートしようと考えていた。
提灯に名前を連ねるような昔ながらの協賛ではなく、人が集まる場というお祭りそのものと連動させた協賛である。その先にはデジタルも連動させていく予定だ。
ビジネスモデルとしては、お祭りと企業をつないで協賛金を集め、その手数料を軸に考えている。しかしまだ構想段階で、何も着手できていない状態。
オマツリジャパンは、代表の加藤を含めてスタッフ6名規模の会社。
大きな案件が動き出すと他に手が回らない。
そこで大内が、協賛事業の担当者としてミッションを担うことになった。
企画開発には慣れている大内だったが、お祭りという分野も協賛事業も初めて。加えて、社内で飛び交う単語も聞きなれない用語が多く、理解に時間がかかった。
例えば、商工会、青年会という地域のお祭りには欠かせない組織の役割や、それぞれの関係性。また、協力企業であるクラウドファンディングの会社や旅行会社など、今まで関わりのなかった業種と接する機会も多く、各業界の理解も深める必要があった。
そこで、まずは営業の同行からスタートした。
しかし知識も経験もないため、営業先でうまくコミュニケーションが取れない。パフォーマンスが発揮できていない、自分の力不足を痛感した。
—初めてのテレアポ。 外回りが楽しい!
営業同行の傍ら、大内はまず、協賛先となるお祭りを増やすために新規開拓の営業活動を行った。来場者が数百万人いるような大規模なお祭りはすでに協賛メニューが組み立てられているところが多く、来場者が数万人規模のお祭りを中心にアプローチした。
協賛元である企業へのアプローチは、提携しているパートナーエージェンシーが主に行っていたため、エージェンシーとも相談しながら、お祭りの協賛メニューを同時に考えたりもした。
日中は自らで作成した営業先リストを元にテレアポしたり、アポイント先に訪問したり。
そして夜になると提案資料を作成するというスケジュールで、昼から夜までみっちり予定を詰め込んだ。
しかし、テレアポも外回りは決して苦痛ではなかった。
お祭りの運営者にとっても協賛金が集まるという良い話であるため、無下に断られることもほとんどない。
オリエンタルランドでは一日中オフィスにいることが多かったため、外の会社に行って話をしたり、情報交換をするのが新鮮で楽しかった。
—業務範囲が分からない
大内は移籍が始まる前、すでにレンタル移籍を経験している移籍経験者たちから、ベンチャーでの働き方を共有してもらっていた。
スピードが重要であるとか、とにかく実行してみるという行動の大切さとか。そのため、ある程度のイメージは事前に出来ており、大きな戸惑いは感じなかった。「業に行っては業に従え」の覚悟もあった。
しかし、業務の範囲の曖昧さを受け入れるのには時間がかかった。
自身のミッションは明確であるものの、それを遂行するにあたり、何をどうやって進めれば良いのか? また自分の関わる範囲はどこまでなのか? それらがなかなか掴めない。
加えて、働き方に関しても、何時から何時まで会社にいなければいけないという決まりはないため、自身の裁量次第。
常にメンバーとコミュニケーションをとりつつ、軌道修正をしながら、時には業務のプライオリティも変え、流動的に進めていかなければならない。
役割が曖昧な中で業務を進めた経験がなかった大内は、常に自身のやり方に不安を感じながらも、「ビジネスの立ち上げ」に関わっている実感が湧いた。
—1円も稼げていない自分
7月、本格的な夏がやってきた。
大内は休日になると、上は青森から下は沖縄まで、全国のお祭りに参加した。業務でお祭りに行くこともあったが、オマツリジャパンでは、プライベートでお祭りに行くための交通費の半額会社が負担してくれているというお祭りの会社ならではの福利厚生があり、それを利用した。
自らお祭りに参加するようになり、楽しさはもちろん、だいぶお祭りが身近に感じられるようになった。営業を通じて、お祭り運営サイドの課題も見えてきて、営業先での説明も自身の実感をもって出来るようになってきた。
出来ることが増え、充実もしている。
しかしその一方で、日に日に大きな不安を抱えるようになっていた。
それは、いまだに協賛が成立していないということ。
「今日も1円も稼げていない。利益を出さないどころかコストばっかりかかっている……」
半年間しかない、というリミットも大きい。
—「数字」がモチベーションだからこそ
大内がオリエンタルランドで担当している、スペシャルイベントフード企画は、分かりやすく結果が出る。
良いメニューは売上が伸び、会社の利益にも少なからず影響を与える。売れるということは顧客から求められること。それに自らが携わったと思うと嬉しいし、誇らしかった。
売上という数字で成果を出すことが、大内にとってはモチベーションだった。だからこそ、オマツリジャパンで売上に貢献できていないことがもどかしかった。
オリエンタルランドでは、毎日キャッシュインがあった。(オマツリジャパンは)事業形態が異なるので、日々売上が発生しないというのは理解しつつも、現状の稼働が本当に将来の売上に繋がるのか不安だった。
自身の人件費をベースに、最低限貢献しなければならない売上を意識していたこともあり、「今日もコストだけかかっているなぁ……」と感じていた。
もうすぐ3ヶ月目に入る。
大内は忙しく充実した日々を送りながらも、大きな焦りを感じていた。
→「第3章 成功確率が見えない」へつづく
協力:株式会社オリエンタルランド、株式会社オマツリジャパン
storyteller:小林こず恵