【第1章 修行してきます】取締役がレンタル移籍!?〜ローンディールに参画するまで〜

後藤幸起(ごとうこうき)は、テクノライブ株式会社の取締役を経て、2018年11月から「レンタル移籍」サービスを提供する株式会社ローンディールのCOOに就任した。

レンタル移籍とは、大企業の社員がベンチャー企業で一定期間働くというイノベーション人材の育成を目的としたサービス。後藤はここで、マネジメント経験等を活かし、レンタル移籍事業の戦略・戦術面を担うことになる。

そんな後藤自身も、実はレンタル移籍を経験したひとり。
「えっ! 後藤さんもレンタル移籍をしたことがあるんですか?」
聞かれる機会も増えた。

「そうなんです。僕の場合は今から2年前に……」
最近は、実体験を話す機会も増え、2年前の出来事がつい最近のことのように、鮮明に思い出されることさえある。

—「ローンディール」との出会い

それは2016年の春に遡る。

当時後藤は、システムの受託開発や、エンジニア派遣を行うテクノライブ株式会社で取締役をしていた。2009年に創業したテクノライブは7期目に入っていた。安定経営ではあったものの、レッドオーシャンの中で、新規事業の開発、優秀なエンジニアの獲得といった課題を抱えており、人材育成や採用のテコ入れをしようとしていた時期だった。
後藤はその統括をしていた。

「これ、いいよなぁ……」
後藤は当時、とある企業が導入していた「交換留職」という制度に強く興味を持っていた。自社の社員と他社の社員を一定期間入れ替え、交換先の企業で実際に業務を経験させるという人事研修制度である。そして、関連記事やキーワードで様々な人財育成の取り組みを知る中で、株式会社ローンディールのWEBページに辿りつく。

「レンタル移籍かぁ、初めて聞くな……」
即座にピンときた後藤はさっそく問い合わせをし、話を聞きに行った。
それが、ローンディールとの最初の出会いである。

2016年の春の日、場所は新橋のとあるカフェ。
後藤は、ローンディールのCEO原田と対面した。
(この頃は、まさか自分がローンディールでCOOをすることになるとは思ってもみなかった)

原田からレンタル移籍の説明を受け、「面白そうだなぁ、自社で取り入れてみたい」そう感じた。一定期間ベンチャー企業で実務を経験して、それを社内で持ち帰って活かす、その取り組みは後藤が求めていた人材育成のイメージに近かった。

しかし、即断とはいかなかった。
現在は、NTT西日本・パナソニック等の大手企業15社で、継続的に活用されているレンタル移籍だが、この頃はサービスをローンチして間もない頃で事例もほとんどない。
とはいえ、強い興味を惹かれた後藤は、その後も原田と定期的に会って情報交換する関係になった。

そして、2016年夏。
移籍先のベンチャー企業の数も増え、レンタル移籍の導入を検討する企業が増え始めた頃、原田から後藤に提案があった。

「まずは、後藤さんが行ってみるってどうですか?」
「あっ、そうか……」思わぬ提案に戸惑いつつも、それが自社で取り入れる上で一番良いかもしれない、そう直感した。

こうして出会ってから約半年、取締役でありながら、自身がレンタル移籍に行くことになった。

「ベンチャー企業かぁ……」
後藤は、移籍に向けた準備をする中で、自身が学生の頃に経営していた会社のことを思い出していた。

—学生起業で「フリーペーパー」の広告営業を担当

後藤は滋賀県の大学に通い、当時、学生仲間数人と株式会社を2つ経営していた。出資もした。ひとつはアパレルショップの運営で、もうひとつの会社は京都・滋賀のクラブ等に設置する音楽情報をメインとしたフリーペーパーの事業。

アパレルショップの会社は、仲間の脱退や仲間の就活時期と重なるなど、思うように運営できずにすぐに清算したのだが、フリーペーパー事業はそこそこうまくいっていた。

ちょうどこの頃、フリーペーパーブームだったということも大きい。
後藤が担当していたのは広告営業。
クラブに精通していたり、音楽が大好きだったり、とにかくフリーペーパーのコンテンツ作りに適した仲間は周りにいっぱいいた。
しかし営業をやる人はいない。そこで役割的に後藤がやることになった。

営業はほとんどが飛び込みだった。
訪問先もラブホテルから県庁と幅広い。
決して営業が得意というわけではなかった後藤は、最初はかなり抵抗があった。
それでも「学生です」というだけで多くの企業が耳を傾けてくれ、応援してくれ、出稿してもらえた時の喜びは大きかった。
何よりも、事業を自ら作りあげていくということに楽しさを感じた。

それは、根底にずっと「管理されたくない」という想いがあったからかもしれない。

—高校生の頃から社長になりたくて(会社を作りたくて)

後藤は3人兄弟の末っ子。
いつも親や姉たちから干渉を受けていた。

それは末っ子を可愛がるゆえの愛情なのだろうが、後藤はその環境に息苦しさを感じることが多かった。

その影響もあってか、中学になる頃には、文化祭の劇では自ら主役をやったり、サッカーチームのキャプテンを務めたりした。それは目立ちたいということではなく、自分で物事を決めていきたい、決められる立場にいたいという想いからの行動だった。

だから高校生になる頃には、「将来は独立して社長になりたい(自分の会社を作って独立したい)」そう思うようになっていた。

—塾講師のアルバイトから社員へ

大学4年生の夏。
皆が就活をしている中、後藤はフリーペーパーの会社を経営していたこともあり、就活はほとんどしなかった。しかしその後、会社を廃業することになり、秋採用でいくつか面接を受けてみたものの、魅力的な企業には出会えなかった。

そこで、ずっとアルバイトをしていた学習塾にそのまま就職することにした。他に選択肢がなかったというのもあるが、当時、小・中学生を担当していた後藤は、目の前で子供たちが成長していく過程をみることにやりがいも感じていた。

そして、学習塾の社員になってまもなく、慣れ親しんだ関西から北関東へ転勤になる。
それから1年くらい経ち、仕事にもだいぶ慣れてきた頃、「これをあと30年以上もやるのかぁ…」後藤はその先の未来に期待が持てないでいた。

生徒たちと触れ合うのは楽しくやりがいがあるが、同期の社員は、この先何をやりたいとか、生徒をこう成長させたいとか、自分の何十倍ものモチベーションを持っている。

「自分はそこまで情熱を注げない……」
後藤はこの場所で成し遂げたいこともなかった。
他の社員との温度差を痛感した後藤は、しばらくして退職を決める。

「学習塾」という独特の業界にどこか閉塞感を感じていた後藤は、その後、「もっと外と触れ合える業界で経験を積みたい」そう決意し、広告代理店に入社。しかし、そのハードすぎる業務に身体が悲鳴をあげ、半年で退職することになる。

—外に修行してきます!

その後、静養期間を経て、後藤は再び自身の会社を立ち上げた。
エンジニア派遣の会社である。
このサービスにたどり着いたのは、エンジニアが重宝されていた時代という背景もあるが、何でも作り上げてしまうエンジニアに後藤自身が一種の憧れを持っていたというのも大きい。彼らと仕事がしたかった。

そして、取引先のひとつとして、テクノライブと出会う。当時過渡期にあったテクノライブから、サポートしてほしいと後藤に打診があった。
結果、自身の会社はビジネスパートナーに任せ、取締役として参画することになった。

テクノライブ時代の後藤(左手前)。大学時代の友達と。

 

———あれから数年が経つ。
後藤はテクノライブの人材育成のために、自らが「レンタル移籍」をしようとしている。

レンタル移籍のサービスは週5日が通常だが、後藤の場合は週3日。
他の役員や社員には「外に修行に行ってきます。でも週2日は戻ってくるから半年間だけ我慢してほしい……」そう説明し、納得してもらった。

こうして「レンタル移籍」という名の(期待を込めた)修行に出ることになった。

学生起業から始まり、様々な経験をしてきた後藤は、移籍生活に特に心配などはなかったのだが、のちに、想像を超えた体験をすることになる———。

 

第2章「再び教育の分野へ」へ続く

取材協力:株式会社LOUPE
storyteller 小林こず恵

 

 

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