【第2章 再び「教育」の分野へ】取締役がレンタル移籍!? 〜ローンディールに参画するまで〜
—教育系ベンチャー企業へ
こうして、自らがレンタル移籍をすることになった後藤。
移籍先のベンキャー企業は、原田が勧めたくれた株式会社LOUPEに決まった。
株式会社LOUPEは「センセイノート」という、全国の学校の先生が繋がるコミュニティーを運営している教育系ベンチャー企業。学習塾に勤めていた経験や、父親が教師をしていたということもあり、「教育」は、興味のある分野でもあった。
そして2017年10月———。
後藤の週3日のレンタル移籍生活が始まる。
—「無駄を減らす」ということ
移籍を始めた最初の3ヶ月は、主にコーポレート周りの整備を行った。
当時LOUPEには、CEOの浅谷とエンジニアの社員、それから、パートスタッフ、アルバイトスタッフ、業務委託のスタッフが数名いた。
しかし、給与管理、有給管理、勤怠管理、契約周りなど、まだまだフローが整っていない状態。それも当然で、社員はエンジニア1名のみ。CEOの浅谷が、事業を運用しながら事務スタッフに自ら指示をするなどの体制で運用しており、それには限界があった。
その大変さは、自身でも会社を経営していた後藤にはよく分かる。
後藤は、テクノライブでのマネジメント経験を活かしつつ、まずはこれらの整備に着手した。
そして業務を通じて、大きな学びもあった。
それは「無駄を減らす」ということ。
後藤はテクノライブで、(本来無料で済むような)ちょっとしたツールにも、無駄に費用をかけていたことを思い知らされる。例えば社内のコミュニケーションツールひとつを取ってもそう。無料で十分なツールはたくさん存在するのだが、ツールの見直しをすることもなく、当たり前のように費用を投入していた。積み重ねるとその費用は膨大だ。
また、スタッフの体制に関しても同様。
今までは、スタッフといえば、社員、派遣社員、アルバイトスタッフ等という関わりがベースになっており、「業務委託」という発想がなかった。しかし、雇わずとも必要な部分だけ切り出して関わってもらう「業務委託」という選択肢がある、という新たな視点を得られた。
また、テレワークも導入しており、効率の良さを実感した。
LOUPEの整備をすることで、結果、テクノライブの固定費見直しにもつながった。
テクノライブでの業務を振り返り、
「もっとこうすればコストも時間もかけずに済んだなぁ……」
そう思うことが山ほどあった。
打ち合わせ中の浅谷(左)と後藤(右)
—唯一無二のサービスは強い!
移籍後、後藤が一番驚いたのは「センセイノート」へのお問い合わせの数だった。
コーポレート周りの整備を行いながらも、後藤は続々と寄せられる「お問い合わせ」の対応も行っていた。大手企業からの問い合わせも多く、それは捌ききれないほど。
後藤にはそれが羨ましくもあった。
テクノライブでは新規顧客開拓において、基本は自分たちからアプローチしないと受注できない。それは競合が多く、同様のサービスを提供している企業が他にも万と存在しているからだ。特に大手企業は、アプローチしてもほとんど見向きもしてくれない。
「もっと他のことも積極的にしていかなきゃ……」
他社と差別化できるテクノライブならではの事業開発が必須であるとともに、テクノライブがこの事業を展開する意味……、それを考える必要があると感じていた。「テクノライブは何のためにあるのか」その考えは、存在意義にも及んだ。
一方、LOUPEが提供する「センセイノート」は、何もしなくても日々たくさんお問い合わせが入ってくる。特別、SEO対策や広告を打っているわけではない。
接点の多くがCEOである浅谷のインタビューや、サービスが取り上げられた記事経由だったり、「センセイノート」利用者の口コミによるもの。
それは「センセイノート」が他にはない唯一無二なサービスだからこそ。
「学校に何か売り込みたい、先生とコネクション作りたい!」
そう思ってもなかなか介入することが難しい業界。
「センセイノート」はまさにその課題を解決し、アプローチでき得る可能性を持つ、新たなビジネスチャンスを秘めたプラットフォームなのだ。
「何ができるかわからないけど話を聞いてみたい」とか、「まずはサービスについて知りたい」という声が多く、後藤は、営業も兼ねて対応していくことになる。
—そして、フリーペーパー事業以来の「広告営業」へ
しかしお問い合わせの数に比例して、売上も順調に伸びている状態……、とは決して言えなかった。この頃のLOUPEは「センセイノート」の利用者に対する調査案件による売上がメイン。
数百万円の売上になる月もあるが、単発の案件がメインのため数ヶ月後には入ってこない。にもかかわらず、月々の運用にランニングコストだけがかかり続けている状況。
「1年後は大丈夫かなぁ……」
後藤は、そんなおせっかいな心配すらしていた。
一方、浅谷は「プランはあるので、人さえいれば売上があがります!」
後藤に言った。
そこでコーポレート整理が終わった後の後藤は、新たな売上の柱を作るための事業開発に着手する。それが「広告営業」である。
広告営業は、学生起業時の「フリーベーパー事業」以来。
あの頃の、苦くも輝かしい想い出が、じわじわと蘇ってきた———。
第3章「改めて、営業は向いていない」へ続く
取材協力:株式会社LOUPE
storyteller 小林こず恵