もがき続けてたどり着いた「なんでもやれるかも」という境地 -大和ライフネクスト 星雄太さん-
大和ライフネクスト株式会社の星雄太(ほし・ゆうた)さんが、ベンチャー企業で働く「レンタル移籍」に応募したのは、入社して5年が経った頃。
順調にキャリアを積み重ねていたものの、このまま上のポジションを目指して働き続けていくことが、本当に一番正しい選択なのか不安を感じたことがきっかけでした。移籍先として選んだのは、新産業共創スタジオの事業開発や新産業プロジェクトの運営・推進を行う、SUNDRED株式会社です。
これまでとはまったく違う環境で過ごした半年間、星さんは「ずっと必死だった」とその日々を振り返ります。
もがき続けた先で、星さんが得たものとは? じっくりお話をうかがいました。
目次
入社から5年、この先のキャリアに不安を抱いた
——大和ライフネクストで担当していた業務と、レンタル移籍に応募した理由を教えてください。
大和ライフネクストではマンション管理組合の決算書類作成などを行うマンション会計部に1年半所属したあと、マンションのフロントマンとして理事会のファシリテートや営業を行う部署に異動になりました。しばらくメンバーとして働いたのち、支店長代理に就任。自身の顧客を持ちながらメンバーのマネジメントを行っていました。
レンタル移籍に応募したのは、入社から5年が経ったころ。自分はこのままで良いのか、漠然とした不安を感じたことがきっかけです。支店長代理という役職になってしばらく経ち、この先のキャリアパスとして支店長になることが予想できました。今の仕事にやりがいはありますし、上を目指すのは大事なことだと思うのですが、ポジションを上げていくことが自分にとって一番正しい選択なのか疑問を持つようになったんです。
マンション管理業は今あるものを維持する仕事がメインとなります。建物のストック数にも限りがありいつかは天井がきます。だからこそ、既存のものを守り続けるだけでなく、新しいものを生み出せる存在になりたいという思いもありました。
そんな時にレンタル移籍の存在を知りました。
「外の世界を見てみたい」
迷わず応募しましたね。
——たくさんの会社がある中で、新産業共創スタジオの事業開発や新産業プロジェクトの運営・推進を行うSUNDREDを選んだ理由は何でしょうか?
「インタープレナー」という、SUNDREDが提唱しているコンセプトがあります。社会の変化や課題を敏感に感じ取り、多様なセクターの人と対話をしながら解像度を高め、自分の意思で進んでプロジェクトを創り出したり参加したりして価値を生み出していく個人のことなのですが、これに憧れたことが最初のきっかけです。
さらに調べてみると、「組織の枠を超えて100個の新産業を共創する」など、なにやらスケールの大きなことも言っている。この会社に行けば鍛えられるのではないかという期待感から応募しました。
移籍当初は「外国に来たような感じ」
——移籍中はどのような業務を担当したのでしょうか。
大きく二つあります。一つ目が、インタープレナー人材育成プログラムの開発。もう一つが、SUNDREDの活動を広げるために行っているイベントのプロジェクトマネージャー業務です。イベントは半年に一度開催していますが、今回は経済産業省関東経済産業局と共催した、延べ参加者3000人規模のものでした。半年の移籍期間で、主に前半は人材育成プログラム、後半はイベントプロジェクトに注力していました。
——大企業からベンチャーへ移籍して、最初にどんなことを感じましたか。
使ったことのないツールで知らない言葉が飛び交う環境で、最初はわからないことだらけでした。手取り足取り教えてもらうこともないので、自分でもがきながら進んでいくしかない。新しいことを覚えていく新鮮なワクワク感と、漠然とした不安が入り交じった気持ちだったことを覚えています。移籍期間中につけていたレポートには「外国に来たような感じ」と書いていましたね。今思い返しても、それだけの異文化に触れた体験だったと思います。
プロジェクト型の業務でリモートワークだったため、環境に慣れるのも大変で。メンバーの話に追いつくために、連絡ツールとして使っていたSlackをずっと遡って読んだり、わからない単語はすぐに調べたりしていました。
初日の昼に、
「1時間後に商談があるから、星さんも入って何か喋って!」
と言われたのも驚きました。
大和ライフネクストの場合は営業の概要や方針の説明があってからお客様の前に出ると思うのですが、SUNDREDではいきなり。こうした“無茶ぶり”が平気で行われるのが一番の違いだったと思います。
それから、大和ライフネクストでは目の前の実務をいかにこなすかを考えることが多いですが、SUNDREDはまず理想があり、実現するためにはどうすればいいのか? という議論がいつも交わされていました。この点も大きな違いでしたね。
意識が変わった「ある一言」
——最初に関わったインタープレナー人材育成プログラムの開発について教えてください。
プログラムの開発では、まず「こういう人がインタープレナー人材」というコンピテンシーモデルを定義し、受講者がその能力を身につけるためにはどんなことを伝えればいいかを考えながら組み立てていきました。
プログラムは2週に1回の全6回で、1回あたり2時間ほどです。僕はコンピテンシーモデルの作成に一部関わりつつ、主には事務局として、受講者へのフィードバックなどを担当しました。
このプログラムはSUNDREDにとってもはじめてのもので、ネットでどれだけ検索しても同じものは出てきません。まだ世の中にないものをつくる時、僕は何から着手すればいいのかまったくわからなかったので、ゼロから生み出す過程を間近で見ることができてすごく勉強になりました。
一方で、最初の頃は厳しく叱責されることも多かったです。半年で移籍が終了する前提だったので、自分としても「手伝っている」という認識があったのかもしれません。仕事ぶりにも出ていたのか、開始から1カ月が経った頃、
「オーナーシップを持ってやってください」
と叱責されたことは印象に残っています。厳しい言い方でしたが、本質的なことを言ってくださっていると感じ、そこからどんな業務も自分ごと化して動こうとするようになりましたね。
——厳しい意見の中に学びを見出して、意識が大きく変わったのですね。作業の中で、特に大変だったのはどんなことですか?
講師の方に趣旨を伝えてプログラムの内容を考えていただくのですが、それが趣旨やSUNDREDの考えに必ずしもマッチしていないことがあって。社内外の地道なすり合わせがとても大変でした。
——すり合わせをする時に、何か心がけていたことはあるのでしょうか。
うーん、必死だったのであんまり……この半年間ずっと必死だったので、何かを試そうとか、こういうことを心がけようと意識する余裕がなくて。とにかくもがき続けていました。
どの意見も正しい時、あえて耳を塞いで前に進む
——考える余裕がないほど必死になるのも、なかなか得られない体験だと思います。そして人材育成プログラムが続く中で、イベント事業も動きはじめます。
そうですね。移籍開始から3カ月が経った頃は両方の業務が重なっていたので、この時期が一番大変でした。イベントの方向性がなかなか決まらず、会議をしても時間だけが過ぎていく。そんなふうだったので、人材育成プログラムが終わると一息つく間もなくイベント事業に全力で取り組むことになりました。大企業からスタートアップ、自治体など、さまざまな立場の人が大勢集まるイベント。その内容にワクワクする半面、正直準備はめちゃくちゃきつかったですね(笑)。
——それだけの大変な日々の中で、何か身についたものはありますか?
時間がなく制約がある中で、なんとか形にする力が身についたと思います。それから、この時期に自分が身につけたことがあと二つあります。
一つが、「仮説を立てて質問する力」。
もう一つが「自分の判断基準を持って選択する力」です。
レンタル移籍の前後に、自分の質問力のなさを実感することが多かったんです。移籍前にローンディールの大川さんと話していた時、すごく芯を食った質問をしてくるので驚きました。SUNDREDにも、そうやって的確な質問をしてくる人がたくさんいました。彼らを見て、「自分はプロジェクトマネージャーなのに、全然話を引き出せていないんじゃないか」と思ったんです。
メンターの西村さんに相談したら、「自分で仮説を立てて、『こういうことですよね?』と言っていかないと良い質問はできないし答えを導き出せないんじゃないか」とアドバイスをいただいて。少しずつ実践していくようになりました。
——もう一つ、「自分の判断基準を持って選択する力」についても教えてください。
これはプロジェクトマネージャーとして働く中で学んだことのうち、特に大切だと感じているものですね。SUNDREDの人たちはみんな意志が強く、僕は社内の調整が難しいことに悩んでいました。ある人はこう言っているけど、別の人はまったく違うことを言っていて、どちらも正しいんですよ。その中で伝書鳩のようになってしまって、事業が停滞してしまったことがありました。
その時に、僕を支えてくれていた先輩が、
「みんな正しいのは分かる。だけどそれではものごとが進まないから、正しいことを前提に、どれを今やるべきかを決めるのがプロジェクトマネージャーの仕事なんだよ」
とアドバイスをしてくれました。その言葉にはハッとさせられましたね。以降は「これは正しいけど今はできない」と、良い意味で耳を塞いで取捨選択ができるようになっていきました。大きなターニングポイントになったと感じています。
——みんな正しくて決められないのは、大和ライフネクストの時もあったのでしょうか。
いえ、大和ライフネクストの頃はむしろ自分自身に知見があったので、「自分の意見が正しいはず」と思っていました。会社で決められたやり方に苛立ち、自分のやり方で好きにやらせてもらったこともありましたね。SUNDREDでは僕は経験が浅く、自分よりも圧倒的に知識がある人たちが広い視野で言葉を交わしているのがわかったので、「みんな正しいよな」と迷ってしまったのだと思います。
大企業ほど上司の権限が強く、ベンチャーは自分の裁量で進めていくようなイメージがありますが、僕の場合は逆でしたね。大和ライフネクストでは自分でどんどん判断していたので、上司の意見で調整したり、自分の案にきつく駄目出しをされたりするのはSUNDREDではじめて経験しました。
できないと思っていたことも、全力でやればなんとかなる
——仮説力や自分で判断する力が身についたことで、その後の業務はどのように変わりましたか?
イベントの準備では、社内や登壇者の意見調整が何より大変でした。そんな時、自分で判断する力がとても生かされたと感じます。プロジェクトが前に進む速度も変わりましたね。「今何をすべきか」を優先して考えることで、右往左往するのを最小限に抑えることができたと思います。
——プロジェクトマネージャーとして大きく成長していますね! イベント当日で、何か印象に残っていることはありますか?
イベント自体は大きなトラブルもなく進んでいきましたが、裏ではかなりバタバタしていました。「うまくいくかな」と不安に感じているような余裕すらなくて、必死で頭を働かせて、手を動かしていましたね。
当日の朝まで準備が追いついていないところもあり、メンバーみんなで協力しながら形にしていきました。一緒にやってくれたことに、すごく感謝していますね。
終わってみて感じたのは、やっぱり大きな達成感。正直、最初は絶対無理だと思っていたんですよ。僕にはできないと思っていたけど、全力でやればなんとかなるんだなと。チームのメンバーは「やってみたら意外とできるでしょ?」と、笑っていましたね。
自分が救われた方法で、チームのメンバーを支える
——改めてレンタル移籍の半年を振り返ってみて、他に印象に残っていることはありますか?
SUNDREDの人たちってミーティング中は厳しいことも言うけど、けっこう優しい部分もあるんですよ。僕が落ち込んでいそうな時には「1on1しますか?」と声をかけてくれることもあって。大変な中でも一人一人が優しかったことで、くじけず続けられたと感じています。大和ライフネクストでは1対1で話すことは少なかったので、悩んでいそうな人には積極的に「ちょっと話しますか?」と聞くようになりました。
メンターの西村さんにも支えられましたね。
西村さんは、こちらがどんな失敗談を話してもまず「いい経験してますね!」と言ってくれるんです。すごく支えられましたし、今では自分自身も口癖になっています。後輩から悩み相談を受けた時、「いいっすね!」からはじめるようになりました。
——自分が支えられたことを、他の人にもするようになったんですね。続いて、ベンチャーに行ったからこその気づきや変化があれば教えてください。
地位や給料よりも「これがやりたい」を優先して働いているSUNDREDの人たちを見て、「いろんな生き方があるんだな」と気づくことができました。組織の中で出世していく以外の生き方がたくさんあって。立場に関係なく社内でどんどんチャレンジしていく人もいれば、兼業というかたちでそれを実践している人もいます。自分の意志や気持ち次第なんだとわかって、自分自身の意識も変わりましたね。
レンタル移籍終了後は、主務としては以前と同様の業務を担当しています。ただそれとは別に、会社の新しい仕組みを現場に広げていくための部署に所属し、管理のデジタル化を進めていく役割も担うようになりました。
それ以外にも、新規事業で面白そうなことがあれば自分から手を挙げてミーティングに参加したり、「こんなプロジェクトがあるけど、参加しない?」と声をかけてもらったりしています。部署を超えて関わっていく姿勢は、SUNDREDの経験を経て持ち帰ることができたものですね。
——最後に、星さんの今後の展望を教えてください。
僕はSUNDREDの人たちみたいに、「これがやりたい」「こういうものが作りたい」という明確なビジョンがありません。自分が何者なのかまだ見つけられていないのは、これからの課題だと思っています。
ただ、「こうありたい」というのは明確になりました。
僕はみんなが自由に意見を言えて、そのことでパフォーマンスが上がっていくような職場を作っていきたいと感じています。プロジェクトマネージャーの経験から、現在の部署でもみんなの足並みを揃えるような打ち合わせの機会を設けたところ、やりとりがスムーズになりました。こうした役割を今後も担っていきたいです。
自分が率先して新しいものをつくるというよりは、発想が次々に生まれるようなチームづくりをしたい。そのために、組織のマネジメント能力を極めていきたいと考えていますね。
Fin