「初めてのマーケティングで知った“ユーザー目線”の重要性」京セラ株式会社 古見健太さん
今回の主人公である古見健太(ふるみ・けんた)さんが勤めているのは、電子部品や通信機器、太陽電池などを製造する電気機器メーカーの京セラ。2012年4月に入社以降、生産技術開発部に配属となり、約8年間勤めてきました。生産技術開発部は、社内の各事業部の生産技術を見直し、改善または開発を行う部署。担当の事業部が変われば、活用する技術も変わる研究職を楽しんでいたといいます。一方、長い間、同じ部署に在籍していることで、考え方や価値観が固定化してしまっているのではないか、という危機感も抱いていたそう。
その打開策として、古見さんが選んだのが「レンタル移籍」でした。大企業である京セラとはまったく環境の異なるスタートアップに赴くことで、これまでと違う価値観やスキルを得られると考えたのです。
2020年3月から2021年2月にかけて移籍した先は、お金の悩みを抱えるユーザーと、お金の専門家をマッチングするWEBサービス「お金の健康診断」を運営する株式会社400F。社員10人程の小規模なスタートアップに、古見さんは飛び込むことに。そこで得られたものは、研究者のままでは気づけなかった“視点”でした。
目次
研究職では実感しづらかった「事業をお金に変えること」
――レンタル移籍以前の話を伺う前に、そもそも古見さんが京セラに入社した動機は?
大学生の頃に材料の研究をしていたこともあって、メーカー業界に入りたいと考えていたんです。私の専攻は太陽電池。京セラが太陽電池に力を入れていることもあり、京セラで研究開発に携わることを志望しました。その結果、配属は研究開発本部の生産技術開発部となりました。
――生産技術開発部では、どのような業務を行うのでしょう?
社内の各事業部の生産技術の改善や開発を、包括的に行っています。事業部ごとの縦割りを緩和し、横のつながりを強化して、事業部を横断してさまざまな技術を展開しようという部署です。
生産技術開発部が向き合う相手は各事業部。部門が変われば担当するテーマや扱う技術も変わります。私は1つのものを極めるより、広く多様なものに触れる方が好きなので、自分には合っている部署だと感じていました。
――自分にマッチした部署であれば、躓くこともなく働けたのでは?
最初の頃は順調でした。ですが、約8年間在籍していたので、それだけ長いこといるとマンネリ化してくるんですよね。自分の考え方や価値観が固定化されることにも、危機感を覚えていました。
もう1つ、課題感もありました。生産技術開発部は事業部を支援する間接部門なので、自分が行った技術の改善や開発が、売上に結びついている実感を得にくいんです。事業をお金に変えるという経験ができていない状況は、マズいなと思いましたね。
――その打開策として行き着いたのが、レンタル移籍だったのですか?
そうです。社内での異動も考えたのですが、京セラの中にいるという事実は変わらないので、変化も少ないのではないかと思っていた時期に、本部長からレンタル移籍の案内のメールが届きました。これなら現状を変えられるかもしれないと思い、すぐさま課長に相談しました。その後、承認を得て、行くことが決まりました。
――動き出しが速いですね。移籍先がスタートアップということに、不安やためらいはなかったですか?
不安は多少ありましたが、それ以上に、スタートアップは若い人が自立して活躍し、売上に貢献しているイメージがあり昔から興味があったんです。自分の力で利益を上げる経験がしたいと思っていましたし、もともと新しいコミュニティに飛び込むことも苦手ではないので、抵抗感はなかったですね。
移籍早々立ちはだかった壁は人生初の「リモートワーク」
――古見さんの移籍先は400Fでしたが、なぜ志望したのでしょうか?
レンタル移籍の前にローンディール主催の研修があり、「自分は何をしたいのか」を改めて考える時間があったんです。そこで出た結論として、自分は「人の生活に直結する事業を通じて、それぞれがやりたいことを実現できる社会を作ること」に興味があるのだと気づきました。
人が抱える不自由は、「仕事に追われて時間がない」といった時間的なものだと考えていたのですが、ローンディールの方から「金銭的な不安も大きい」というヒントをいただき、フィンテック系にも目を向けるようになりましたね。私自身、もし自分にたくさんのお金があったら、制限しているようなことも実現できるなって(笑)。そうして、お金に関する不安や不自由を解消できる事業を探す中で、400Fを知りました。
――400Fの「お金の健康診断」は、まさにお金の悩みを解決して、生活を豊かにすることを目指したサービスですもんね。
そうですね。本格的に400Fに行きたいと思ったのは、移籍前の面談の時でした。一度職場に伺っただけなのですが、働いている方々の雰囲気が良くて、和気あいあいとしているなって感じたんです。
1年間移籍するのだから、楽しい雰囲気のところで働きたいと感じましたし、副社長の加々美文康さんからも「来てほしい」と言っていただけたので、400Fに決めました。
――実際に移籍してみて、その印象は変わりましたか?
印象そのままでしたね。社員が10人、業務委託のメンバーを合わせても15人くらいの規模で、非常に雰囲気も良く、ここに来て良かったって思いました。
――大企業の京セラとは、きっとまったく違う環境ですよね。
まず社員の数が全然違いますし、400Fでは年齢が自分と近い人が多かったので、新鮮でした。京セラでは40代~60代の先輩方と一緒に働くことが多いので。
ただ、入ってすぐにリモートワークになってしまったんです。2020年3月16日に移籍して、2~3週間は事務所に通っていたのですが、4月頭に緊急事態宣言が出てしまって。これからコミュニケーションを取ろうというタイミングだったので、最初は戸惑いました。
――それまでリモートワークの経験は?
なかったです。初めてのリモートワークでコミュニケーションが取りづらく、当初は情報を取りこぼすことが多かったです。ついていくのが大変でした。
――その状況は、どのように乗り越えたのでしょう?
主に副社長の加々美さんとやり取りしていたのですが、毎日リモートの朝会で顔を合わせていたので、その時に「どのように動かしているんですか?」「この方向性でいいですか?」など、逐一確認しました。
確認を意識したというより、しないと業務が進められないので、せざるを得なかったというのが正しいかもしれません。加々美さんが気さくな方で、話しやすい空気を作ってくれていたので、躊躇せずに質問できましたね。
写真左:400F副社長の加々美さん、右が古見さん
「考える前に動け」の姿勢で取り組んだマーケティング
――400Fでは、どのような業務を任されたのでしょう?
私が移籍したタイミングで、加々美さんと私、後から中途入社した方の3名でマーケティングチームを作り、「お金の健康診断」を利用してくれるユーザーの集客を担当しました。
初めて社内にマーケティングの専任チームが作られたので、400Fにとっても新たな挑戦でした。私含めてメンバー3人とも、マーケティングを専門的にやってきたわけではないので、大丈夫かな…という不安はありましたね(苦笑)。
――会社にとっても古見さんにとっても、初めての試みだったのですね。
そうですね。ただ、マーケティングの分野には興味があったので、期待感もありました。技術開発とはまったく違う畑ではありましたが、「やったことがないから心配」という考えはなかったです。
――具体的には、どのような方法でユーザーの獲得を狙ったのですか?
大きく2つあって、1つはオウンドメディア「オカネコ」の運営。もう1つが、検索広告やSNS広告などのWEB広告の運用です。
メディアの運営は、提携しているファイナンシャルプランナー(FP)の方に執筆していただいた原稿を編集し、アップしていく作業。広告の運用は、広告を発信するプラットフォームとのやり取りから、広告のデザインの発案なども行っていました。
――マーケティング経験がない中で、記事や広告のアイデアを出すことは、難しくなかったですか?
加々美さんが「考える前に動け」というスタンスだったので、私も感化されて、思いつくものを全部やってみるという形で進めました。例えば広告だったら、GoogleやYahoo!、SNSなど思いつく場所にひと通り広告を出したり、アフィリエイト広告にも参入したり。
メディアではいろいろな記事を配信し、広告はいろいろな場所に出して、当たったものを分析して、そこを強化していくという動き方でした。
――「まずはやってみる」という事業の進め方は、スタートアップらしい気がしますが。
そうだと思います。京セラでは、計画を立てて、うまくいくという予測が立ってから動くことがほとんどだったので、軽いカルチャーショックはありました。ただ、スタートアップには、「考える前に動け」というスタンスがマッチしてるように感じましたね。
大企業だと、事業の失敗が会社にとってのマイナスになる恐れがあるので、慎重になるのだと思うんです。しかし、スタートアップはゼロスタートなので、失敗してもゼロのまま。うまくいけばプラスになるメリットの方が大きいので、思いつくままにやった方がいい場合もあるという学びになりました。
――マーケティング戦略は、プラスに動いていきましたか?
オウンドメディアは最初は伸び悩みましたが、ある日Googleのアップデートの影響を受けて安定的にPVが伸びるようになりました。記事の配信を地道に続けてきた成果だと感じています。
広告も、1人当たりのユーザー獲得単価が最初から比べて10分の1くらいに抑えることができたので、実践したことのすべてに意味があったのかなと思います。
――数字で成果が見えると、モチベーションも上がりそうですね。
そこは強く感じました。私は数字が好きなので、自分がやったことの結果が数字で表れることが、非常に楽しかったです。「自分で利益を上げる」という目標にも、通じるところがありました。
得られた成果を“分析”し、さらなる成果につなげる
――移籍してからも楽しみながら働いていたように感じますが、躓いたタイミングはなかったですか?
振り返ると、最初が一番しんどかったと思います。思いついた記事や広告を出していったものの、最初の1カ月くらいは効果が見られませんでしいた。広告は掲載している間、ずっと予算を垂れ流している状態なので、成果が見込める形にしていかないといけないというプレッシャーが特に強かったです。
――ユーザーをつかめなかった1カ月を超えて、変わった瞬間やきっかけはありました?
結果的には徐々に変わっていったのですが、記事や広告の打ち出し方に気を配るようになりました。当初は「『お金の健康診断』っていいよ」のように、サービスのメリットを訴えていたのですが、ユーザーの立場になって見た時に、興味が湧かない気がしたんです。そこからユーザーの気持ちに寄り添って、内容を変えていったことがターニングポイントになったかなと思います。
多くの人は「なんとなくお金が足りなくなりそう」といった漠然とした不安を抱えていると思ったので、「貯金」「家計」といった具体的で身近なワードを入れたタイトルや見出しを打つようにしたんです。例えば、「あなたの家計は大丈夫? お金の健康診断で確認!」「貯金が貯まらないのには理由があります」といった内容です。
――ユーザー目線に立つという気づきは、大きなきっかけですね。
実は、メンターの池松さんとの面談の際に、ヒントをいただいたんです。マーケティング経験のある方だったので、業務に関する相談をすることが多かったのですが、「ユーザー目線で考えないと、成果を出すのは難しいよね」といった言葉をもらいました。
――重要なヒントですね。
はい。あと、京セラの研究開発業務の中で培った「PDCAを丁寧に回す」というスキルも、役立ちました。もともと属していた生産技術開発部では、「現状分析→課題の明確化→改善策の立案→実行→評価」というサイクルが基本になり、評価に対する論理的な理由づけが重要視されていました。
このPDCAのサイクルは、マーケティングにも当てはまると気づいたんです。立てた仮説に対して、メディアや広告を通して想定の結果が得られたか分析し、改善していきますよね。経験のないマーケティング活動でしたが、意外と研究開発職と共通点もあるのだということを実感しました。
一方で、考える前に動けというやり方では、「できた」「できなかった」という評価で終わってしまい、分析までつながっていないことも感じたんです。チーム内での思いこみで話が進むこともあったので、マズいなと思うこともちょくちょくありました。
――チーム内の意識は、どのように変えていったのでしょう?
加々美さんに「分析を丁寧にするべきではないか」という話をしたら、受け入れてもらえたので、割とすんなり軌道修正できました。成果に対する分析を丁寧に行ったことで、ユーザー目線に立つことの重要性に気づけたので、納得してもらえたのだと思います。
そもそも400Fが、社長の中村さんの意向で「全員が意見を出し合って方向性を決めて、みんなで伸ばしていこう」という会社で、役職に関係なく意見を言いやすい環境だったことも、軌道修正しながら有意義に働けた1つの理由だと思います。
研究職ではたどり着けなかったであろう“ユーザー目線”
――レンタル移籍が終わる際に、400Fの皆さんからの評価などはありましたか?
メディアも広告も、1年間で一定の効果を出すことに成功したので、中村さんから「マーケティングチームができたばかりの状態から、ここまでユーザーが集まるようになったのは、1つの成果ですね」と、言っていただけたんです。
もちろんマーケティングチームとしての成果なのですが、その一部に自分も貢献できたのかなという実感を得ることができました。
――改めて、1年間の移籍を振り返って、いかがでしたか?
京セラと400Fでは、業種も仕事内容も会社の規模においても、まったく共通点がなくて。だからこそ、新しい経験や学びが多かったですね。
スキル面でいえば、ウェブマーケティング全般のこと。メディアの構築やSEO対策、広告運用のインハウス化といった業務は、研究職では経験できませんから。マインド面では、やはりユーザー目線に立ち、顧客ニーズに応えることの重要性を学べたことが、大きな収穫です。
――ユーザー目線は、社内の事業部とやり取りしていた生産技術開発部では、なかなか行き着かない視点ですよね。
そうですね。事業部相手だと、相手が求めているものを直接聞けますし、請負業に近い印象でした。その反面、相手が社外の顧客となると、ニーズを教えてもらうことはできないので、自ら情報を取りに行き、理解するための活動が必要なのだと知ることができました。
――それは良かったですね。
ただ、400Fの事業から考えると、もう一歩踏み込んだ視点が必要だったなと思っています。「お金の健康診断」は、提携しているFPとユーザーをマッチングさせることで売上が発生する事業モデルなので、FP側の視点にも立つべきだったなと。
FPの方から見て、どのような相談事だとマッチングしやすいかという部分を捉えて活動できていたら、もうちょっと質は変わったのかなという気がします。マーケティングチームだからユーザーの集客だけに注力すればいいわけではなく、全体を見る目も必要だと知りました。
特にスタートアップは、事業を十数人で動かしているので、メンバー全員が「自分の業務だけでなく、全体を見る」という意識に至らないと、成功は難しいのだろうと感じましたね。全員が経営に関わるという意識を持った職場での経験は、とても貴重でした。
新規事業創出の部署で伝えていきたい「ニーズとシーズの重要性」
――レンタル移籍が終わってからは、生産技術開発部に戻られたのですか?
今は研究企画部に在籍しています。移籍が終わる前に本部長と話す機会があったので、「生産技術開発部に戻ると、400Fでの経験が活かしづらい」という話をしたんです。本部長も受け入れてくださって、今の部署に異動になりました。
――研究企画部は、どのような業務を担う部署なのでしょう?
新規事業を作る部署です。まだ立ち上がったばかりなので、手探りの状態ではあるのですが、新しい事業をつくるために何をしたらいいか、考えながら進めている最中ですね。
――まさに、マーケティングの経験やユーザー目線という考え方が活きそうですね。
活きそうな部署を選んだ、という言い方が正しいかもしれません。まだアクションに移れてはいませんが、400Fでの経験が活きそうだなというイメージは湧いています。
今まさにSNSでの広告運用を担当しているメンバーがいて、苦労しているようなので、スキル面でサポートできそうです。また、ユーザー目線に立つことの重要性も、きちんと伝えていく必要があると感じています。
京セラに戻って改めて感じたのは、研究職の人間は自社の技術をもとに開発を進める“シーズ志向”になりがちなことです。私自身も移籍前はシーズ志向で考えていましたし、「顧客ニーズが大事」と言われても経験がないと理解が難しいこともわかるんですよね。そんな自分だからこそ、ニーズとシーズのバランスを取りながら、双方の重要性を発信できるのではないかと考えています。
――研究企画部のメンバーに経験で得た学びを広め、ユーザー目線を根付かせていくことが、古見さんの課題になりそうですね。
今は研究企画部という部署の役割やミッションを理解している段階なので、具体的な動き方まで落とし込めていませんが、1年間の貴重な経験をしっかり活かしていきたいですね。
――最後になりますが、レンタル移籍を検討中の方に言葉をかけるとしたら?
1つのところに留まると価値観が固定化されてしまうので、知らない場所に飛び込むことは重要だと思います。新たな環境に対する不安もあると思いますが、意外となんとかなるので(笑)。
ただ、スタートアップは誰も答えを持っていない状態で挑戦を続けている場所なので、移籍者も臆することなく、積極的に動く姿勢は必要だと思います。大企業と比べて展開が速く、待っていても何も来ないので、自分から仕事を取りに行ける人だと、充実した時間を過ごせるのではないかと思います。
インタビューの途中、「性格的に積極的に動く方ではない」と話してくれた古見さん。しかし、移籍先の400Fでは自ら情報を取りに行き、率先して提案する場面がいくつか見られました。これも成長の1つかもしれませんし、その結果得られるものの多い1年間となりました。“ユーザー目線”という新たな視点を手に入れた古見さんは、新規事業を立ち上げていく部署におけるキーパーソンとなっていくことでしょう。
Fin
協力:京セラ株式会社 / 株式会社400F
インタビュアー:有竹亮介(verb)
提供:株式会社ローンディール
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