「まずは自分ができないことを認め、自覚することから始まる」ベンチャーに行ってわかった、人に頼ることの大切さ


電子部品メーカー・株式会社村田製作所に入社して13年。生産機器の選定や仕入れなどを行う調達業務に、実直に向き合ってきた大橋匠(おおはし・たく)さん。客観的な視点と論理的な思考で進めていく調達業務は、大橋さんの適正にマッチした仕事だと感じていたそうです。一方で、業務の進め方も自分自身のスキルも、時代に合わせて変化させなければいけないのではないかという思いもあったといいます。

そうして手を挙げたのが、一定期間ベンチャーで働く「レンタル移籍」(※村田製作所では「ベンチャー留学」制度として導入)でした。赴いた先は、地方共創事業とAI事業という2つの柱を持つオプスデータ株式会社
いままでと異なる環境に身を置いた大橋さんですが、ベンチャーでの半年間を振り返り、「本当に行ってよかった」と言います。大橋さんはどのような経験をして、何を得て帰ってきたのでしょうか。

自分は会社にとって
価値のある存在になれているのだろうか

――村田製作所では、調達業務を担当されてきたとのことですが。

入社してから10年以上、携わってきました。村田製作所ではできる限り客観性を持って公平公正に調達することをモットーにしていて、私としても非常に共感している部分です。また、対外的にいろいろな方とコミュニケーションを取りながら進める仕事という点が、私自身に合っていると感じていました。

――そんな中で、なぜベンチャーに行くことを決めたのでしょう?

仕事を楽しんではいたのですが、狭い枠組みの中で十数年働いていると、自分自身が会社にとって価値のある存在になれているか、疑問に感じ始めるんですよね。枠を飛び出して新たな課題に気づき、解決する方法を見つけるためには広い視野が必要ですが、私の視野はまだまだ狭いという実感がありました。

調達という業務も自動化や効率化が進むなど、時代に合わせて変わっていかなくてはいけない。そういった部分で寄与していくには、私自身不足している部分が多いと感じたんです。

――変化を生み出す存在になるため、一度外の世界に出てみようと考えたと。

はい。調達という業務の見直しは今後必要になると感じていたので、いままでに触れたことのない技術や考え方を取り込んで、見直しや改善、変化の部分を担っていけたらと。
なので、社内のプログラムという位置づけで、小規模のベンチャーでの実務を担当できるという経験は、自分にとってメリットしかないと思いましたね。非常に前向きな気持ちでした。

――ベンチャーに対しても、ポジティブな印象でしたか?

そうですね。“スピードと結果を求められる”というイメージがありました。スピード感をもって結果を出し、そこで得た成果をもとに素早くサイクルを回していく場所なのだろうと感じていたし、熱意をもってビジネスに向き合っている方が多いんだろうなって。

地方共創をやりたい。
でもそれ以上にこの人と働きたい。


――移籍先は、どのように選択したのでしょう?

新たな環境で自分に何ができるのか、どこまでできるのか試したかったので、まったく異なる業界に行きたいという気持ちが第一にありました。業務の中で重なる部分は出てくるとは思いますが、できるだけ製造業や調達業務は避けましたね。

もうひとつ、自分自身が興味のある分野に進みたいという思いもありました。新たな環境で苦しい状況に立たされたとしても、興味のあることならモチベーションを保てるのではないかと。

――どのような分野に興味があったのですか?

大学時代に社会学を専攻していたこともあり、地域社会の活性化といった分野に関心がありました。

――だから、地方共創事業を手がけているオプスデータに移籍されたんですね。

それもひとつの理由ですが、実は、オプスデータで働きたいと思った一番の決め手は、中野社長の考え方や人柄でした。移籍先を選ぶタイミングで中野社長と面談をしたのですが、そこで伺ったお話がとても興味深く、共感できる部分もたくさんあったので、「この人と一緒に働いてみたい!」と強く感じたんです。

――どのような部分に共感したのでしょう?

地方創生という社会課題に取り組むにあたって、思いだけで行動するのではなく、ビジネスモデルを構築して持続する形で実現しようと考えているところに、もっとも共感しました。

また、共感とは違うのですが、中野社長はさまざまな経験をしているからか、とても大らかな印象があって、社内のメンバーのチャレンジを後押ししている印象があったんです。一緒に働けたら、私もチャレンジしやすいのではないかと感じて、希望しました。

代表取締役社長 中野さん(左)、大橋さん(中央)、取締役 友池さん(右)

「自覚していなかった弱みを知る」

――実際に移籍をスタートして、いかがでしたか?

オプスデータは14名程と少人数で、そのうちの2人は私と同じレンタル移籍者だったのですが、業務は基本リモートだったので、序盤はコミュニケーションがうまく取れなくて苦労しましたね(苦笑)。

私が担当したのは、地方共創事業のひとつである「WAKEAU」というサービス。特定の地域の特産品や生産品、その地域の情報を詰めてお客様に届ける「お楽しみBOX」の企画から営業、仕入れ、顧客対応まで行います。一緒に担当していた移籍者2人が移籍終了となった以降は、私がほぼすべての業務を見るようになりました。

――社内連携も重要そうですね。

そうなんです。サービスの基礎となる部分は、前任の移籍者や社員の方々が作り込んでくれていたので、サービスをただ回すだけなら1人でもできたんですよ。

ただ、サービスをどう打ち出すか、顧客をどう取り込むかという課題があって、その解決につながるアクションを考えるうえでは、社内はもちろん、社外も含めた連携がマストになります。でも、その部分がうまくいかなかったんです。

――どんなところでつまずいたのでしょうか?

社員の方々とのコミュニケーションを積極的に取りにいくことができていなくて。「課題について相談する」「一緒に考える」という関係性を築けていなかったように感じます。
というのも、「アイデアが50%の段階で相談する」といったことができなかったんですよね。課題に対する100%の答えを自分の力だけで出そうとしていたので、1人で考える時間が非常に長くなってしまったのだと思います。

――なかなか周りに頼れなかったのですね。社外とのコミュニケーションはいかがでしたか?

社外も同じです。地方の生産者さんに会いに行った際に、一緒に行った社員の方から「大橋さんは硬い」と言われました(笑)。あの頃の自分は、“人対人”ではなく“会社対人”のコミュニケーションになっていたんです。私自身の思いを伝えるのではなく、会社やサービスの紹介を教科書通りに進めることに終始していて、生産者さんとの信頼関係も築くことができていませんでした。

――そこに気づいてから変化はありましたか?

いや、そもそも当時は課題に気付けていませんでした。それまでコミュニケーションを弱みと感じたことがなかったので、そこに課題があると思えていなかったというか。だから、「段取りが悪かったんだ」と、言い訳がましい思考になっていました。

なので最初の3ヶ月くらいは、一人で悶々と悩みながら次の一歩が踏み出せない状況が続きましたね。

「考えるより動こう」というマインドが生まれた

――踏み出せない状態はどうやって打破したんですか。

週報や月報にこうした悩みを書いたりしていたことがきっかけで、中野社長やローンディールの方、村田製作所の上司が、アドバイスをくれたのがその時期でした。メンター・酒井さんとの1on1でも相談に乗っていただきました。

皆さんから、
「スマートにやろうとするな、泥臭くていいから動いてみよう」
「自分1人で抱え込むな、周りに相談しながら進めることが大事」

といったアドバイスをいただき、本当にその通りだなって感じましたね。

移籍も折り返しを過ぎていましたし、悩むだけで動かないのは意味がない。それなら考えるよりも動こう、というマインドに切り替えるきっかけになったと思います。

――そこでコミュニケーションが足りなかったことにも気づいたと。

そうですね。同じタイミングで、中野社長が「ビジネスコンテストに参加してみよう」と声をかけてくださって、社員の方々と強制的に接点ができたんです。

コンテストを通じてコミュニケーションを取ることで、通常業務に関する相談もできる関係性が築けました。人と一緒に考えながら動くことにも自信が持てて、移籍後半はアクション先行で動けるようになりましたね。

――大橋さん発信で進めたこともあったのですか?

はい。集客のためのイベント運営を担当しました。どのようなイベントを行うか、どのように集客するかというスタートの部分から、地域の方と話し合って進めていきましたね。これまではオプスデータ単体の企画だったんですが、地域課題に取り組むにはもっと協業する人を増やした方がいいと考え、自治体やアンテナショップ、移住ポータルサイトの協力を得て、イベントを実行しました。

実際に、福岡県糸島の移住者座談会を開催したんです。その結果、いままでアプローチできていなかった層に「WAKEAU」を届けることができ、地域の方々のつながりもつくれたので、意味のあるイベントになったのではないかと思っています。

それからもう一つ。「WAKEAU」の課題のひとつに新規顧客の開拓がありました。決してリーズナブルなサービスではないので、試したいけど試せない層がいるのではないかという仮説を立て、実験的に初回トライアルを実施してみたんです。

結果的には、多くの集客にはつながらなかったのですが、それもひとつの成果なのかなと。価格以外の部分での工夫も必要だとわかったので、アクションした意味はあったと感じています。

自分から心を開くことの大切さ

――後半に入って一気に変化したような印象ですが、オプスデータの方々からはどのようなフィードバックがありましたか?

移籍が終わる頃に、「以前の大橋さんは頭で考えて踏み出さないところがあったけど、踏み出せるようになったね」と。

また、「WAKEAU」における業務や課題を整理して見える化し、私の次に入った移籍者に引き継ぐことができたんです。そこは成長というより、私に与えられたミッションでしたが、社員の方々にも「大橋さんだからこそできた大きな成果」と、言っていただけました。

――そんな半年間で得た学びや気づきは、改めてどのようなものでしたか?

一番大きな学びは、自分ができないことを認め、自覚できたことですね。それにより積極的に社内外の人とコミュニケーションを取ることで知見をいただく、人に頼るといった行動に繋がります。「この人と一緒に頑張ろう」と思ってもらえる関係を築いていくことの大切さにも気づくことができました。

――どんな仕事でも、人との関わりは大切ですよね。

そうなんですよね。「村田製作所の大橋」「オプスデータの大橋」ではなく、いち個人の私として相手に認識してもらうための自己開示も必要だなって。自分が何を考えていて、相手に何を求めているのか、こちらから伝えていかないと相手も心を開いてくれない。

特に、地域の生産者さんが相手だと、オンラインでは熱量が伝わらないんですよね。その地域を訪ねて顔を合わせて、一緒に地域のものを食べて、そのものについて話すことで、信頼関係が築かれていくことを、身をもって体験しました。最適なコミュニケーションを取れるようになったとはまだ言えませんが、意識できるようになりましたね。

――大切な気づきですね。移籍前の目標のひとつでもあった「広い視野」は得られましたか?

「WAKEAU」の最初から最後まで担当したことで、ひとつの業務に注力するのではなくサービスの本質的な価値を見ないと、その先の打ち手が考えられないという感覚が、自然と身についた気がします。そのサービスが会社に与える価値という部分は、半年間ずっと悩んだ部分でもあるのですが、全社視点で考える機会をいただけたことはとても大きな経験になりました。

「何のための仕事なのか」を考えるクセ

――村田製作所に戻られてからは、元の部門に?

設備調達という部門は変わっていませんが、調達部門内の企画管理も兼任する形になりました。組織の風土や統制の部分、新たな調達システムなどをイチから企画していく係で、今まさに前任者から引き継いで、何ができるか考え始めたタイミングです。

――アイデアは思いつきましたか?

具体的なところはまだですが、気になっているのは、企画より管理のウェイトが大きくなっていることですね。もちろん管理も大切なことではありますが、理想は誰かが管理せずとも自走していく姿だと思うので、管理の仕事を減らす策を考えることが今のファーストステップかなと思っています。

管理の仕事が減れば、新たな企画を生み出す余裕が生まれますし、そもそも管理の方法を考えることが企画でもあるわけで。調達としての価値を上げるための施策を、メンバーと一緒に考えていけたらと思いますね。

――さっそく広い視野で部門を見ているのですね。

そうかもしれません。日々の業務でも、目先の作業の問題点というよりは、そもそもこの仕事は何のために行っているのかという部分から考えるクセがついたように思います。実際のアクションはこれからですが、気づく力が変化している実感もあります。

新たなものを生み出すには、同じ部門だけでなく別の部門やほかの会社など、いろいろな協力者を巻き込みながら前に進めることが大事になるので、移籍で磨いたコミュニケーションを生かして、実行に移していきたいです。

左が大橋さん。同時に移籍したNTTドコモ・關さん(中央)、農水省・鈴木さん(右)

 

新たな視野やスキルを身につけるため、レンタル移籍に臨んだ大橋さんでしたが、ベンチャーで課題となったものは、もともと苦手意識を抱いていなかったコミュニケーションでした。できると思っていたことが、他者から見るとできていなかった。その気づきが、自身を大きく変えるきっかけとなったのです。短期間で急速に視野を広げた大橋さんが見ている景色は、半年前とは大きく変わっていることでしょう。

Fin

 

協力:株式会社村田製作所 / オプスデータ株式会社
インタビュアー:有竹亮介(verb)
撮影:宮本七生

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