ベンチャーから戻って。「僕らが今、大企業でできること」 NEC 樋口謙介さん × 丸尾拓さん × 脇田傑さん
「週1くらいですかね、みんなで集まって、作戦会議しています(笑)」。
そう話すのは、NECで働く樋口謙介(ひぐち・けんすけ)さん、丸尾拓(まるお・たく)さん、脇田傑(わきた・すぐる)さん。皆、各々のセクションで働きながらも、部門という枠をはみだして、何かを企てている様子。そんな3人が集まるきっかけとなったのが、約1年間のベンチャー出向でした。「レンタル移籍」を通じて、三者三様、異なるベンチャーで働き、NECに戻ってきたのち、こうした新しい動きを始めたといいます。
そんな3人のこれまでと、これからのストーリーについて伺いました。
(左上:丸尾さん、左下:樋口さん、右下:脇田さん 右上:インタビュアー:小林)
目次
「みんなで何かゼロイチをやってみよう」
——みなさん、NECではまったく異なるセクションで働いているんですよね。
樋口:そうですね。僕は医療分野の新規事業を考えるチームにいて、まさに今、ゼロから事業をつくり上げているところです。
丸尾:僕は東日本統括支社にいます。いままでは長野と新潟で、自治体向けの営業の仕事をしてきました。今は埼玉に移って、新たな市場を開拓していく動きをしています。
脇田:僕は大阪でスマートシティの事業に関わっています。NEC一社でできることは限られているので、外部機関とどう組んでいくかという、オープンイノベーションにも携わっています。
——全然違うのですね。みなさんの共通点は、同じ時期に“ベンチャー企業に行った仲間”ということですよね。行ったベンチャーも三者三様、異なるわけですが、いつからこんなに仲良しに(笑)?
樋口:ベンチャーに行くタイミングで知り合って、行っている間も連絡は取り合っていました。今のように集まるようになったのは、NECに戻ってきてからですね。
——毎週のようにミーティングしているとか?
丸尾:そうですね、毎週しゃべってるかな。せっかくだから、みんなで何かゼロイチをやってみようってことになって。業務とかは全然関係なくて、自主的に集まってやっている感じです。最初は脇田くんが切り出してくれて。
脇田:戦略的に考えているわけでもなく、土日暇やし、とりあえず何かやってみようってスタートしました(笑)。丸尾さんや樋口さんに声かけたら乗ってくれて。僕の職場の同僚もいれて、今は4人でお互いの情報を共有したり、何をしようか、作戦会議をしているところです。
丸尾:NEC本体で新しい事業をするとなると規模が求められるので、それだといきなりは難しい。だから僕らで事業を起こしちゃって、それをNECとどうシナジーを作るか、そんなことも視野に入れています。最終的には、NECから投資してもらってやるみたいなことに発展していっても面白いかなと(笑)。
——すごい行動力ですね。ベンチャーに行く前から、そんなにアクティブに活動していたんですか?
丸尾:いや、ベンチャーに行ってからですね、こういうことができるようになったのは。
樋口:僕も同じく、です。
——じゃあベンチャーに行ってスイッチが入ったわけですね。そもそもなぜ、ベンチャーに行くことにしたのでしょうか?
脇田:僕の場合は、自分が成長していないなぁって感じていたことも大きかったと思います。NECに入ってから、人工衛星や防衛などをやってきて、その後、民間向けの営業部門に配属になって、5年くらい経った頃でした。なんだか、成長速度が落ちているのを感じていて、「このままでいいのかな」「次の成長ってなんやろう」って悩んでいたんです。
同時に、経営者と会話させていただく機会もあって、その中で、自分も経営視点を得たいなって気持ちも漠然とありました。だから、ベンチャーに行けるって聞いたときは、これだって。「新しい世界に行ける!」っていう好奇心も重なって、チャレンジするしかないっていう感じでした。
丸尾:僕はずっと自治体周りの営業をやってきて。自分なりに実績も出してきたし、それを評価してもらえている環境でもありました。一方、顧客との関係構築ができてしまっているので、開拓していく楽しさがあまりなくて。それで違うエリアに異動してみたりもしたのですが、やっぱりそこでもしばらく経つと同じような状況になって、ちょっと飽きてしまっていたというのもありました。
ただ、NECは好きだからやめる気とかはなくて。「外で働いて戻ってくるみたいなことって、ないですかね」って上の人に話していたんです。そしたらその数ヶ月後に、「こういうのあるよ」って教えてもらって。
樋口:僕の場合は、新規事業をやれる環境にはあったけど、既存事業の縛りがあって面白いことができないなって、悶々としていた頃でした。ぶっちゃけあんまり楽しくないなって時期で(苦笑)。それに、転職せずにずっと同じ環境にいるので、大企業に染まっている感や、外の世界を見たいっていう願望もあって、ベンチャーに行くのはいい機会になりそうだなって思いました。不安もありましたけど、期待の方が大きかったですね。
三者三様のベンチャーへ
——それぞれ異なるベンチャーに行かれていますね。どういった理由で選んだのでしょうか?
脇田:僕は、株式会社フライヤーというベンチャーに行きました。本の要約サービス「flier(フライヤー)」を提供している企業です。あまりビジネス書を読んできた方ではなかったので、ここに行ったらビジネス書が読めるんじゃないか、みたいなことも下心としてはありましたが(笑)、決め手はやっぱり、経営層の方々でした。とにかく経歴が華々しい。そういう人の横で働けるってなかなかないなぁって。この方々と働けたらいろいろ吸収できるんじゃないかって、面談したときに確信して、決めました。
左は株式会社フライヤー 代表取締役 大賀さん、右が脇田さん
丸尾:僕が行ったのはMAMORIO株式会社(以降、マモリオ)。紛失防止デバイス「MAMORIO」を開発・販売している企業です。僕は人というよりも、「ここに行ったら、ビジネスモデルの作り方を学べるんじゃないか」っていう期待感を持って行きました。NECに限らず大企業特有だと思いますが、NECは技術がしっかりしている分、技術ありきで進めることもあり、売り方やマーケティングに課題があるなって思っていて。なので、ここでそれを吸収できたらと。それにマモリオが掲げている「なくすをなくす」というメッセージに惹かれたというのもあります。奥さんから「あなたは物をなくすから、合ってるんじゃない?」って言われるくらい、僕は物をなくすので(笑)。
左はMAMORIO株式会社 代表取締役 増木さん、右が丸尾さん
樋口:僕が選んだのは、AI技術によってAIアイドルを生成する、株式会社ジーンアイドルというかなりぶっ飛んだ会社でした。せっかく行くなら、尖ったベンチャーに触れたいっていうのもありましたが、NECで、AIを活用して医療につなげるということをしていたので、AI技術のある会社に行きたいということもあって。ただ、本来は1年間行くはずだったのですが、ジーンアイドルの事業体制の関係で、後半の半年間は、株式会社ウェルモというヘルスケアベンチャーへ行かせていただきました。こちらは介護領域なので、今の事業とも近いところでした。
左は株式会社ジーンアイドル 代表取締役 小幡さん、右が樋口さん
——初のベンチャーですよね。実際に行ってみてどうでしたか?
脇田:それが、代表の大賀さんがコンサル出身の方なので、どんなにロジカルに攻めてくるんだろうって構えていたのですが、パッションで経営をされていたんです。「それはいい案だからやりましょう」って感覚でものごとが進められていくこともあって、最初はびっくりしました(笑)。
丸尾:行く前のイメージとしては、みんなが、社長が掲げたひとつのものに向かって一丸となって突き進んでいるイメージがありました。でも、必ずしもそうでもなくて。個々が強い意志や思いを持って働いているんだなぁというのは新鮮でしたね。
樋口:ジーンアイドルは、……とにかくカオスでしたよ(笑)。代表の小幡さん含めて全員がバリバリのエンジニア集団。その中には10代のスーパープログラマーもいて。ただ、技術先行でプロダクトが作られていたので、それを事業化する人がいなくて、それ僕がやるのか(!?)みたいな。でも、もうプロダクトのリリース日は決まっているので、なんとかしないといけない状況で、入っていきなり追い込まれていました(笑)。
脇田:正直、樋口さんに対しては、大変だったと思うんですけど、ゼロイチでカオス状態っていうのが面白そうだなと思っていました。これがずっと続くってなったらしんどいと思うんですけど、期間が決められている中で、カオス状態をどう乗り切るかって、すごい貴重な経験なんじゃないかなって。
丸尾:脇田くんが言うように、樋口さんはゼロイチをやれたのはいいなって思ってました。それに2社を経験できたのも羨ましい。違うタイプのベンチャーを見られたわけですから。
「こんなに、何もかもやれることってなかった」
——お二人から羨ましがられている樋口さん。振り返ってみてどうでしたか?
樋口:僕からしたら、二人の動きを横目で見ながら、「着実に実績を上げてていいな」ってすごい羨ましかった(笑)。特に移籍当初は、いろんなことがカオスすぎて、心が折れかけていたので、「俺、もしかしたら、やばいんじゃないか?」って、ちょっとだけ弱気になって、帰りたくなっていた頃。今振り返ると、いい経験だったなぁと思いますけど。
——具体的には、どんなカオスを経験したのでしょうか?
樋口:僕がジーンアイドルに入った頃は、プロダクトのローンチを準備しているタイミングでした。そのための準備や、認知活動を行うことになったのですが、何もかもが手探りで。まず、そもそも周りにエンジニアしかいないので、僕と、僕と同時期に移籍をしていた三越伊勢丹の鳥谷さんの二人で、プロダクト以外のところを動かしてしていかなければならない状況。とにかく全部です。しかもアイドルカルチャーやPRに詳しい人も周りにいなくて。
WEBのキャンペーンページの制作や、WEBマーケティング。その他販促のためのキャンペーンに付随する業務諸々……。また、toB向けの提案のために、広告代理店さんと打ち合わせをしたり、とにかくあれもこれでしたね。どれも初めての業務です(笑)。
——よく、やりきりましたね。中でも、特に印象に残っている出来事はありますか?
樋口:認知拡大のために、WEBでAIアイドルを絡めたバレンタインのキャンペーンをした際に、キャンペーンページのディレクションを行うことになって。でも、僕はまったくの素人。それでも勉強しながら人に聞きながら、なんとかデザイナーさんやエンジニアの方と連携してページを作ることができました。
最初は要領がわからなかったものの、だんだん途中から掴めるようになってきて、やればできるもんだなぁと。実は今、NECでもWEBサービスを考えることが増えてきて、知識が活かせているんです。こんなに、何もかもやれることってなかったので、経験できてよかったなって思っていますね、今となっては。あの時は、しんどかったですけど(笑)。
「なんとかなるって自信がでてきて、色々と動き出した」
——一方、丸尾さんの行かれたマモリオは、すでにプロダクトがしっかりできあがっている状態。営業としてジョインしたということなので、今までの経験を活かして順調だったのでは?
丸尾:最初の頃はそうでもなくて。ソリューションを理解するのに時間がかかりました。割と真面目なのと(笑)、しかも全部理解してからやりたい方で。よくわかってないのに説明するとか、一人で提案に行くとかは良くないんじゃないかって。だから最初はインプットばかりで、力を発揮するまでに時間はかかってしまいました。
——やっぱりプロダクトが違うと、大変でしたか?
丸尾:「MAMORIO」は、シンプルなプロダクトなので、サービスとしてわかりやすいんですけど、どう伝えたらいちばん刺さるのか、どういう営業スタイルがいいのか、その辺りが正直わからなくて、モヤモヤしていました。だから最初の半年くらいは、下積み状態で(汗)。でも半年くらい経って、顧客心理や売り方もわかってくると、なんとかなるって自信がでてきて、色々と動き出した感じです。
「途中からレンタル移籍だってことを忘れていたくらい」
——なるほど。同じく営業活動をしていたという脇田さんはいかがでしたか?
脇田:営業なのにKPIが決まっていなくて。数値目標がない中で動いていました。そうなると、問い合わせがきたら対応するけど、営業活動も個人判断でなんとなくになってしまうし、自分から取りに行く活動はしなくなる。だから僕も、最初の2ヶ月はそんな感じで様子見しちゃっていたんですね。
でも3ヶ月目に入った頃、「遠慮しているよね。そのままでいいの?」って、大賀さんにビシッと言われて。確かにこのままだとマズイなって……。成長したくてやってきたのに受け身でいたら、何も身にならないなって。それからですね、上野さんと壁打ちしながら、営業チームを作っていくことにしました。それこそ、フライヤーが要約を提供しているビジネス本を片っ端から読んで、営業マネジメントについてインプットしました。その中で、「OKR」という目標管理手法を取り入れて、数字目標を置いてやってみようと。
当時、僕以外のチームメンバーは、数値目標を立てて営業するという経験をしたことがない若い女性たちばかり。最初は「外からきた人が何を言ってるんだろう」みたいな雰囲気もありましたね(笑)。
——そこからどうやって、チームをまとめていったのでしょうか?
脇田:そもそも、いままでは明確な目標がないからやりにくかっただけだと思って、目標を立てて自分が率先して動いていきました。とにかく愚直にやってみようと。そしたら、それがだんだんメンバーにも伝わって、協力者も増えて、チームで動けるようになってきました。会話も増えてきて、みんなから目標達成のためのアイデアも出てくるようになったんですね。移籍を終える頃には「これは脇田さんの遺産ですね」って(笑)、そう言われるまでに浸透させることができました。
——みんなが一丸となるきっかけを作ったわけですね。そうとう思い入れを持って、取り組んでいたんじゃないですか?
脇田:たしかに、途中からレンタル移籍だってことを忘れていたくらい(笑)。自分がこの商品を生み出したみたいな感覚になっていました。営業だけじゃなくて、WEBを作ったり、マーケティングを考えたり、みんなで必死にやっていたので、かなり自分ごと化できていたと思います。最終日にはおもわず泣いてしまいました……。
丸尾:それはわかる。僕も相当愛着持ってやってました。マモリオには、これからも続くような会社であってほしいし、成長していってほしいと、今でも思っています。
小さく動いてみて、間違ったらやり直せばいい。
——丸尾さんも、後半からは積極的に動き出せたわけですよね?
丸尾:そうですね。移籍後半は、自分から動けるようになっていました。状況が掴めてきたってこともありますが、COOの泉水さんのひとことも大きかった。もともと、マモリオとNEC、両社への貢献というスタンスでいたんですが、泉水さんが「丸尾さん自身のためにもここに来ているのでは? だったら自分のためになるようなこともやったほうがいい」って言ってくれて。マモリオでやるべきことはしっかりやりながらも、自分として新しい領域に踏み込むとか、自分の市場価値をあげるとかも、意識して動くようになりました。プレスリリースやキャンペーン周りなども、受注につながりそうなことは広くトライしてみたり。そうして積極的に動いていく中で、大型案件が受注できたり、成果につながりはじめました。
営業組織でいうと、結構、脇田くんに近い状態で、これからしっかり体制を作ってやっていくというフェーズ。僕が一番年長ではあったので、若手の子たちには、自分たちで目標を設定して、有言実行しようとか、そういったメッセージは伝えるようにしていました。また、カスタマーサクセスチームと営業チームの業務整理を提案したり、僕が抜けたあとの後任の採用もしたり、案件をちゃんと回せるような体制づくりには貢献できたと思います。
——お二人とも、最初は苦戦したものの、後半で大きな成果を残せたようですね。さて、樋口さんが後半の半年間で行ったウェルモさんは、100人以上が働く組織。数名規模のジーンアイドルさんとはまったく違う環境だったと思いますが、いかがでしたか?
樋口:ウェルモは介護福祉領域のソーシャルベンチャーなので、ジーンアイドルとは事業領域がまったく違う。それに、ジーンアイドルはゼロイチに近くて、ウェルモはプロダクトがある程度できあがっている状態。人数も多く、組織化されていたので、最初の戸惑いはそんなになかったように思います。
ウェルモが展開するSaaSビジネスは、NECでやっていた個々のユーザーの要望を聞きながら導入を進めていくSIビジネスとはビジネスモデルが異なるため、何から手をつけていいかわからなかったのですが、知識豊富なウェルモのメンバーにサポートしてもらって、業務設計から実装検討まで経験できたのは、本当にいい経験になりました。
左が樋口さん、右は株式会社ウェルモCTO・STO 角井さん
——では、メンバーのサポートを受けながらも、順調だったということでしょうか?
樋口:いや、そうでもなくて……。僕が関わったのは、新たにリリースするケアマネジャー向けのプロダクトだったんですが。事前に幾度とヒアリングし、リリースに向けた準備を進めていたのですが、いざトライアルで使ってもらったところ、自分たちが期待していたほどの反応が得られなくて……。ここでもまた、「価値提供」の難しさを実感することになりました。ただ、1社目・2社目ともに、事業開発における難しさを目の当たりにする経験ができたことは、これから事業開発をしていく上で、大きな収穫と捉えています。
それに、僕はもともと石橋を叩いて渡るタイプで、ぜんぶ決めきってからやりたい性格だった。だからベンチャーのスピード感や進め方がなかなか掴めなくて。でも2社とも、「どんどん失敗して、経験を積んでいい」って言ってもらえたおかげで、小さく動いてみて、間違ったらやり直せばいい。そうやって動けるようになったのも、大きかったと思います。
脇田:僕もそれにはすごく共感します。今までは石橋渡っていました。でもそれじゃダメだって怒られて(笑)。そこからは失敗してもいいからやろうって切り替わりました。
ウェルモのメンバーと。
NECが自分の中の“ひとつの軸”
——成功も失敗もすべてが、学びになっているようですね。今、みなさんはベンチャーから帰ってきて、3ヶ月以上経ちましたが、行く前と今では、仕事への向き合い方や、動き方に何か変化はありますか?
樋口:やっぱり僕は、事業化までのプロセスを経験できたことがダイレクトに活きている。今まではNECのやり方しか持っていなかったので。新しいやり方を得ようと本を読んでも、実経験がないから「ふーん」で終わっちゃっていた。でも、経験したことによって腹落ち感が出てます。「こういうことだったのか」って。今、まさに現在進行形で新規事業をやっているところなので、チームメンバーとベンチャーでのやり方も共有しながら、進めているところです。
丸尾:樋口さんが言ったようにプロセスもそうだし、明らかにいままでにない発想を持てていますね。外に目を向けるようなきっかけもできたし、いろんな会社の人と関われるようになったことで、入ってくる情報が明らかに変わりました。
脇田:今までは、言われたことを“失敗せずにやる”ってことに目が向いていました。でも、「自分がしたいか、自分が興味があるか」って観点で仕事を増やしてもいいんだなって発想が生まれました。他人から言われて始めたことだと、失敗してもまぁいいかってなることもある(笑)。でも自分の興味から発信してはじめると、試行錯誤してなんとか結果だそうと、勉強したり積極的に人と交流したり、前向きに取り組めると気づきました。これからもそういう考え方でいようって思っています。
——そういった変化から、「みんなで何かやってみよう」という流れになったのですね。こうして今回、NECから初めて外にはみだしてみたわけですが、改めてNECって、みなさんにとってどんな会社ですか? 外に出て気づいたこともあるんじゃないでしょうか。
丸尾:市場に伝わってないと思いますが、いい会社ですよ(笑)。もともと、いい人ばかりだし、真面目なタイプが多い。技術としてもしっかりしたものを持っている。今は会社として積極的に最先端のことを取り入れて、チャレンジングなことをしようとしている雰囲気も伝わってきます。
脇田:そうですね、ここ数年で会社の雰囲気がどんどん変わってきている。世の中の動きをキャッチアップして制度に反映している感もあって、働きやすいです。
樋口:服装も自由になったり、シェアオフィスを好きに使えたり。こうしてベンチャーに行かせてもらったり。仕事のやり方もゼロから新しいことをつくっていこうというマインドの人は増えてきたように思います。既存事業だけだと会社が立ちゆかないよねって、みんなが感じ始めている。
——いろいろチャレンジできそうな環境ですね。
丸尾:2人もそうだと思いますけど、前提としてNECが好きっていうのがあります。育てていただいたこともそうだし、こうして貴重なベンチャー経験もさせてもらえた。僕はやっぱり、NECというのが自分の中に“ひとつの軸”としてあって、そこから、いろいろ広げていけたらと考えています。でも当然、おんぶに抱っこ状態ではなく、自分の意思を持って、関わっていきたいですね。
脇田:今までは“NECの脇田”でしたけど、今は、NECにいながらも、“脇田でどう生きていくか?” の軸で考えています。
樋口:それ、すごくわかる!
丸尾:僕もまったく一緒。
一同:(笑)
ーこれからどんなことが始まるのか。楽しみですね!
FIn
協力:NEC / 株式会社ウェルモ・株式会社ジーンアイドル・株式会社フライヤー・MAMORIO株式会社(※50音順)
インタビュー:小林こず恵
【レンタル移籍とは?】
大手企業の社員が、一定期間ベンチャー企業で事業開発などの取り組みを行う、株式会社ローンディールが提供するプログラム。ベンチャー企業の現場で新しい価値を創りだす実践的な経験を通じて、イノベーションを起こせる人材・組織に変革を起こせる次世代リーダーを育成することを目的に行われている。2015年のサービス開始以降、計47社 134名のレンタル移籍が行なわれている(※2021年4月1日実績)。