会社に勤めて10年。外に出て見つけた「新しい自分」 -小野薬品工業株式会社 内海光司さん × 篠田篤さん-

みなさんは今の会社に勤めて何年経つでしょうか。
がむしゃらに働き続け、ある程度仕事も任せられるようになり、気づけば10年、15年という方もいると思います。そんな中で「このままの働き方でいいのか?」「自分は成長できているのか?」と悩む方も多いのでは。

そんな中で、”一旦外に出てみる”ことを選択したのが、製薬会社の小野薬品工業株式会社(以降、小野薬品)ではたらく内海光司(うつみ・こうじ)さんと篠田篤(しのだ・あつし)さんでした。おふたりは共に約10年の勤務経験があり、ベテランといわれる領域に差し掛かるタイミング。この先の10年を見据え、レンタル移籍を通じてベンチャーで働く経験をすることで、新たな武器を得る、自分の実力を確かめることにしたのです。
 
彼らが越境して得たものとは。小野薬品に戻って見出した、新たな働きがいとは?

「社内の課題」「自分の課題」を解決するために決めた移籍


――それぞれ1年間のレンタル移籍を決めたのは、どのような理由からだったのでしょう?
 
篠田:今回は社内で2期目のレンタル移籍だったんですが、実は1期目にも応募したんです。ただ、当時は「面白そう」というシンプルな理由のみだったので、選考に落ちました(笑)。その半年後に受けた社内研修で「成功した企業の分析」をした際、当社には人を巻き込んでチャレンジする風土が足りないという課題を感じたんです。
 
――その課題が、レンタル移籍に挑戦する動機になったと。
 
篠田:はい。当社はチャレンジする風土の醸成を目指していますが、研修の中で行ったアンケート調査ではまだまだ挑戦の風土は根付いていないという結果でした。まずは自分が先陣を切ろうと思い、レンタル移籍を決めました。社員の人生を背負って新規事業を生む起業家の考えや巻き込む力にも興味があり、近くでその思いに触れたいという気持ちもありました。

Profile:篠田篤さん
2012年に薬学系大学院を卒業後、開発職として小野薬品工業株式会社に入社。複数の開発プロジェクトに従事した後、製品戦略部へ異動しマーケティングを学ぶ。その後、メディカル部門へ異動し、心疾患や腎疾患のチームリーダーを経験。医療ニーズの把握・エビデンスの創出などを通して製品価値の最大化に取り組んでいる。

内海:私は、自分に何ができるのか知りたい、という想いが一番強かったです。2011年に小野薬品に入社してから営業一本でやってきたのですが、入社10年目を迎えた頃に漠然と、このままでいいのか、という不安が出てきたんです。いずれはマネジメントの方向に進みたいという気持ちもあったので、多様な経験を積みたいと考えました。
 
――新たな経験を積むために、レンタル移籍を希望したのですか?
 
内海:はい。ただ、営業から他部門への社内異動へ希望を出したタイミングと、レンタル移籍の募集が重なってしまったんです。どちらも実現させたいという思いがあるなか、社内の関係者の皆さんに調整していただき、結果的にレンタル移籍を経験してから、帰任後に異動するという着地になりました。

Profile:内海光司さん
2011年、営業(MR)として小野薬品工業株式会社に入社。埼玉、東京、神奈川で医師、薬剤師などの医療関係者に対して自社製品の品質・安全性・有効性などの情報を提供し適正使用を推進する業務に従事。その後、海外事業を推進する事業戦略本部に異動、上市前製品のマーケティングプランを作成し各国に移管する業務を担っている。

自分自身の“弱点”に気づき、向き合った移籍期間


――移籍先では、どのような業務を担当されたのでしょう?
 
内海:私は中小企業の支援を行う株式会社YZに移籍し、当初はクライアントの課題解決を目指すコンサルティングを担当しました。移籍中盤からはインサイドセールスやマーケティング、事業企画にも携わり、営業とはまったく違う分野を経験しました。
 
篠田:私は、地方創生ビジネスを行う株式会社FromToに移籍しました。前半は既存事業の業務効率化やリード獲得、後半は新規事業の検討を行いました。地方創生の分野も業務内容も初めてで、動き方すらわからない時期もありましたね。
 
――共にまったく異なる業界への移籍でしたが、1年間を経てどのような学びが得られましたか?
 
内海:自己開示の重要性です。私は人に弱みを見せるのが非常に苦手で、入社当初から周囲に相談せず、自分で黙々と働き、結果を出すタイプでした。入社10年を超えると、さらに弱みを見せづらくなる一方、つまずいた時に立ち止まる時間は長くなっていくんですよね。
 
篠田:よくわかります。移籍先では、弱みを見せられました?
 
内海:最初の1~2ヶ月はまったくできなかったです。移籍先の方々から「さぞかし優秀な人なんだろう」と期待されていると勝手に思い込み、プレッシャーを感じてしまって。ただ、クライアントから私の動きの悪さやプロダクトの弱さに対してクレームが入ったことがあって、このままじゃいけないなと思い、周囲に「ノウハウを教えてください」と頼るようになりました。
 
――頼ったことで、業務の進み方は変わりましたか?
 
内海:スピードも質も、まったく違いましたね。悩みや困りごとの共有、双方の考えの確認という作業を重ねる中で、思い込みは持たないほうがいいと思わされました。胸襟を開いていくことで、いい方向に道が開けていくんだと実感しました。
 
篠田:私の学びは、自己分析が進んだことです。その中で見えてきた自分の一番弱いところは、判断から逃げるところ。そこを突破するためのコツをつかませてもらった1年でした。
 
――その弱みは、移籍前から感じていたところですか?
 
篠田:いえ、移籍して気づきました。というよりも、以前は自分が判断する立場にあるとも思っていなかったです。小野薬品でもチームリーダーを務め、企画を提案することはありましたが、最終判断は上層部も参加する会議で行われるものと思い込んでいたんです。もちろん経営陣が最終判断するんですが、会議で否定されたとしても絶対に承認を取るんだ、という気概みたいなものを持たずに逃げ腰だったなと。
 
内海:篠田さんが移籍したFromToは組織規模が小さいので、判断も任されたことも多かったのでは?
 
篠田:FromToでも、最後の最後まで逃げているところがありました。ただ、最後の1~2ヶ月に入ったときに、「私個人としてはやり切りたい」と感じたビジネスがあり、周りのメンバーを巻き込みながら、自分の判断で推し進められたことで、ひと皮むけた感覚がありました。提案、実行してよかったなと。

【株式会社FromToのメンバーとの1枚・右が篠田さん】

――これまでにはない感触を得られましたか? 

篠田:その経験があったから、弱みに気づけたんだと思います。最後、FromToのメンバーから「篠田さんはよき貢献者だけど、ハンドルを握る部分はまだまだ」というフィードバックをもらったので、判断力は今後の課題ですね。
 
移籍中に支えていただいたメンターの高梨さんからも、「無駄な謙遜はしないほうがいい」って言われました。自分が判断するべきじゃないという謙遜は、誰も求めてないんですよね。
 
内海:私はメンターの高橋さんから、「自分を褒める時間も大事ですよ」って言ってもらいました。振り返ると、しんどい時期にも自分を責めるばかりだったなと。その言葉をいただいてから、起こしたアクションに対して、ここはできなかったけどここはできた、と自分自身と対話するようになりました。モチベーションを保つ意味でも、褒めることは大事だと実感しています。

【株式会社YZのメンバーとの1枚。左手前が内海さん】

外の世界に飛び出したからこそ認識できた“強み”


――レンタル移籍という越境を経験されましたが、越境することの意義はどこにあると感じていますか?
 
篠田:私は開発本部、製品戦略部、メディカルアフェアーズ統括部と全く異なる部門間での異動を経験してきましたが、これも社内の越境といえると感じています。ただ、ずっと透析領域というテーマは変わらず、業務が開発からマーケティング、臨床研究の企画に変わっていく形で、半分知っていて半分知らないような越境だったんです。一方、レンタル移籍は事業領域も業務内容も知らない飛び地だったので、武器を持たずに赴いた感覚でした。
 
――右も左もわからない状態ですよね。
 
篠田:だからこそ、意外な強みを知れたんです。いままでロジカルな思考が自分の強みだと感じていたんですが、移籍先では「感情を込めて人に訴えかけることが得意だね」と評価されました。そこが自分のポータブルスキルだったんだと気づかされましたね。武器を持たないからこそ、表面的なスキルではなく、自分の性格や性質に注目して評価してもらえたんだと思いますし、どこに行っても活かせる強みを見つけられたと感じています。

――一方、内海さんはこれまで営業一本で、レンタル移籍が初めての越境となりましたが。
 
内海:篠田さんがおっしゃるように個人の武器もないし、会社の武器もないんです。医療関係者の方には小野薬品の名前はよく知っていただいているので、小野薬品の営業として病院に連絡するとすんなりアポが取れます。しかし、移籍先のYZの名前を出すと、「どちらさまですか?」と言われてしまう。いままで会社の後ろ盾があったから仕事ができていたんだと、実感しました。
 
篠田:確かに、会社の大きさは移籍して実感しますよね。
 
内海:あと、給料をいただけることが当たり前じゃないと気づきました。ベンチャーでは資金繰りが難しいこともあり、不安定です。その現状を知ると、毎月給料が振り込まれる状況が恵まれていることを痛感しました。
 
――大企業に身を置いていると、気づきにくい部分ですよね。
 
内海:越境したからこそ自分が置かれている環境のありがたみに気づけたし、この環境を活用してもっと挑戦していこうという気持ちにもなりました。外を経験した私だからできることを実践し、この想いを伝播させて、社内の方々にも自社の強みを実感してもらえたらと思います。

社内や地域にも転がっている「越境学習」のチャンス

――小野薬品に戻られて、内海さんは移籍前とは別の部署での業務に就かれているんですよね。
 
内海:はい、また移籍したような感覚です(笑)。ただ、後ろ盾のない環境で1年間働いた自負がありますし、未知の課題に向き合うマインドは強くなっているので、新しい部署でも地に足をつけながら、アクションを起こすことを大事にして、スピーディーにキャッチアップできているかなと思います。篠田さんは移籍前の部署に戻ったんですよね。
 
篠田:そうですね。もともとのメディカルアフェアーズ統括部に戻って、新しいプロダクトの担当になりました。違う業界に出たことで、製薬の楽しさややりがいを改めて感じたので、移籍前よりも強く仕事に対する面白さを感じています。私自身が楽しんで企画を提案し、「絶対承認してもらう」という気概を持って大きく躍進できれば、周囲の人も巻き込めるんじゃないかという想いもあります。
 
――お二人とも、初心に帰ったようなところがありそうですね。
 
篠田:楽しみを再確認し、やりがいを見つけたという点では、入社当時と近いと思います。入社10年を超えて、原点に立ち返ることができたのは大きいですね。
 
――同じように勤続年数を重ねて、なんとなく停滞していると感じている人もいると思いますが、身近でできる越境はあるでしょうか?
 
篠田:レンタル移籍はあくまで手段のひとつで、大切なのは目的だと感じています。私のように巻き込む力を身につけたいと考えた場合、社内にも巻き込むのが得意な人がいるかもしれない。部署を越えてその人に話を聞きに行くのも、ある意味で越境になると思います。ビジネス本を読んで疑似体験するのも、ひとつの方法ではないでしょうか。
 
――関わりのなかった人や手に取ったことのない書籍などと接点を持つことも、ひとつの越境ですね。
 
篠田:あくまで越境は手段で、自分が目指したいところ、得たいものを明確にすることが先決だと思います。目的がはっきりしていれば、いろいろな選択肢も見つかるはずです。

――外部と接点を持つだけでも、変化は生まれそうですよね。
 
内海:会社という組織に限らず、地域のコミュニティを通じて他業界、他業種の人と交流する選択肢もあるのではないかと。いつもとは違う環境でチャレンジする機会は、身近なところにもあるはずなので、私も探していきたいですね。

それぞれに違う部署から違うベンチャーへと移籍した内海さんと篠田さんでしたが、1年間を経て気づいたものは“自分自身の弱点”と、共通していました。そして、その弱点を克服するマインドセットのきっかけも感じ取れたようです。二人が得た「環境を変えることで見えるものがある」という体験は、他社に行かなければ経験できないものではありません。周囲にどんな人材がいるか、どんなビジネスが立ち上がっているか、注意深く見てみると、思いがけない発見があるでしょう。
 
Fin

協力:小野薬品工業株式会社 / 株式会社FromTo・株式会社YZ
インタビュアー:有竹亮介(verb)
提供:株式会社ローンディール
https://loandeal.jp/


㈱ローンディールでは、人材育成や組織開発など、様々な目的に合わせた越境プログラムをご提供しています。自社に合うプログラムをお探しの方は、お気軽にご相談ください。

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