「自分も変わらなきゃいけない」。部下の越境がもたらした、上司の変化
期待と不安を抱えながら、外に送り出す
──まずはベンチャーにレンタル移籍した山口さんにお伺いします。なぜ行くことにしたのでしょうか。
山口:移籍以前、私はR&D部門で新規事業の新しい種になるような技術開発に取り組んでいました。その中で、感じていた課題が二つあったんです。
一つ目は、自身のビジネス観点が弱いこと。新規事業は、「この技術をどのようにビジネスに活かすのか」といったように、技術とビジネスを繋げて考える力が必要です。しかし、当時の私は技術志向が高く、ビジネス志向をあまり持ち合わせていませんでした。
二つ目は、市場との距離感が遠いこと。R&D部門は市場とコミュニケーションをとる機会が少ない部門のため、市場にフィットした開発がどんなものなのか見えづらく、モヤモヤを抱えていました。
そんなとき、レンタル移籍の存在を知って。「会社の外では、どのように技術開発し、お客様に価値を届けているのだろう?」と、好奇心が湧きました。ビジネス観点を養いながら、市場と密にコミュニケーションをとった事業開発に携わりたいと考え、移籍を決断しました。
── 上司である飯田さんにお聞きしますが、山口さんが現場を離れることに懸念はなかったのでしょうか。
飯田:正直、ありました。当時、チームで取り組んでいた仕事の中で山口さんだけが持っている技術もあり、その穴をどう埋めるかというのが最初は懸念事項でした。
一方で、一人ひとりが能力を発揮すれば補完できるだろうとも考え、覚悟を決めて送り出した形です。一時的にリソースの不足があったとしても、後に還元されるだろうという期待もありました。
── どのような期待を込めて山口さんを送り出したのでしょうか?
飯田:「顧客価値創出までのアジャイルな経験を積んでもらうこと」と「情熱的なマインドを培ってもらうこと」の二つですね。
山口さんは、技術者として高い専門性を持っていて、既存事業の開発プロセスについても経験を積んできた方です。しかし、新規事業創出という、ゼロからイチを生み出す経験を得る機会はこれまでにありませんでした。新規事業には、アジャイルで検証を回していき、価値を見つけ出すというプロセスが必要になってきます。移籍を通して実体験から学んでもらい、現職の開発プロセスでも生かしてほしいと考えました。
さらに、スキルの向上だけでなく、マインドセット面でも期待をしました。新規事業で必要な、情熱的なマインドをベンチャーで身につけて、周囲に良い影響を与えてほしいと考えたんです。
山口:現場の人材が潤沢ではない中、送り出してもらったことは明らかでした。飯田さんからは、「顧客価値の創出を強化していきたい」という熱意を強く感じていたので、その期待に応えたいという思いを携えながら、レンタル移籍をスタートさせました。
ベンチャーに行っても続いていた関係性
── 移籍後、どのような業務に携わりましたか。
山口:東京工業大学発のベンチャーである、株式会社digzyme(ディグザイム) で新規事業開発を担当しました。digzymeは、バイオインフォマティクスという基盤技術を強みに酵素開発を手掛ける従業員10数名のベンチャー。digzymeを移籍先に選んだのは、顧客とダイレクトに関わるビジネス開発ができることと、個人的に関心が高い技術を保有していることに魅力を感じたからです。
私のミッションは、新規サービスにおける一連の事業開発でした。具体的には、展示会の出展や想定顧客へのアタック、PoCの提案・検証などの業務を担当するなど、現職ではなかなか機会を得られなかった、お客様とのコミュニケーションが頻繁にある仕事でした。
── 顧客とのコミュニケーションはスムーズにいきましたか?
山口:いえ、上手くいかないことも多かったです。例えば、移籍の二週目に展示会に出展した際に、「試してみたい」という反応を多くいただいたので期待を込めてご連絡をしたところ、ほとんど返信が返ってきませんでした。最初は顧客ヒアリングでも深掘りができず、表面的な情報しか得られなかったために、移籍先の上司から指摘をいただくこともありました。
── どのようにして解決を試みたのでしょうか?
山口:お客様がどのような課題を抱えているのか、見極めるように意識しました。Nice to have(あったらいいな)なのか、Must have(どうしてもほしい)なのか。あったらいいな、のレベル感であれば、既に代替案がある可能性が高いです。一方で、切実な悩みであるならば、顧客にとって非常に魅力的な解決案となるかもしれません。さらに強力な一手になるのは、お客様すらも気付いていない課題を見つけ出すこと。それには、潜在的な課題にアプローチするコミュニケーションスキルが必要です。
移籍先でいただいたフィードバックを活かしながら、課題の仮説を複数想定したり、質問の順序や質問の仕方を工夫したりするようになりました。どれくらい切実な課題なのかを見極める質問も織り混ぜながら、お客様のニーズを引き出すためのスキルを身につけていったんです。
── 移籍中はモチベーション高く取り組めましたか?
山口:正直、一時期は停滞しました。特定の業界とコンタクトをとることに苦戦して、どうやってアプローチすれば良いのか、全くわからなくなってしまって。
モチベーションが保てるようになったのは、視座を上げることを意識し始めてからです。ベンチャーでは、経営陣の考えや行動に直接触れる機会を多く得ることができます。この環境に身を置くうちに、私も自ずと視座を引き上げられ、長期的な視点で「会社の成長に繋がるのか?」を思考できるようになりました。“やらされている仕事”ではなく、“自分の意思が入った仕事”として捉えるようになったことで、モチベーションが上がって、どんどん仕事が楽しくなっていきました。
当事者意識が芽生えてからは、自ら提案して大阪出張の機会をいただくなど、仕事の成果をもっと高めるための行動ができるようになったと思います。
飯田:たしかに、移籍の最初の頃よりも後半のほうが、主体性を持って動いているように感じられました。digzymeさんを「自分の会社だ」と認識し、積極的に意見を出したり、お客様にご提案したりしている様子が見てとれましたね。
── 移籍中もお二人は繋がりを持っていたのでしょうか?
飯田:直接的なやり取りは多くはありませんでしたが、山口さんが作成された週報や月報を読んでいました。それと、移籍先に山口さんをサポートしてくださった方がいて、その方からも山口さんの近況を細かく共有いただいていました。自分の期待と違っていたり、期待以上に動いていたときには、1on1という形でリモートで山口さんと会話することもありましたね。直接会わなくとも、臨場感を持って山口さんの成長を感じとっていました。
“情熱を解放するような組織”に変わってきている
──ベンチャー経験を経て、ご自身ではどのような変化を感じていますか?
山口:元々課題として感じていた「市場とどのようにコミュニケーションをとるのか」という点に関しては、実際にお客様と会話する機会を多数いただき、必要な考え方やコミュニケーションスキルを身につけられたと思っています。
お客様にお話を聞く際、移籍前は課題に対する解像度が低く、ぼやけているような状態でした。今回の経験によって、自分なりに仮説を立て、「こういうところで困っているのではないだろうか」と準備をした上で会話できるようになりました。得られる情報の質が上がってきていると自分でも感じています。顧客価値を強化するために重要な基盤を築くことができました。
それと、マインドも変化したように思います。技術がお客様のどのような部分に刺さって、どのように喜んでいただけるのかを実感し、“情熱”が私の中に生まれた感覚があるんです。これまでは社内で技術開発に勤しんでいましたが、技術がお客様にどのような影響をもたらすのかを自らの目で見て、仕事への意欲がいっそうのこと掻き立てられたように思います。
── 飯田さんから見た、山口さんの変化を教えてください。
飯田:山口さんはものすごく変わりました。もともと気持ちを奥に秘めていたのかもしれませんが、情熱的な言動を表現するようになったと思いました。一年前には想像できなかったほどの変化です。今は、「自分自身の行動がリコーを変えるんだ」と思えるくらいの情熱を持っているように感じています。
ベンチャーを経験したことで、リコーに戻った際、スピード感や情熱面などに、かなりの違和感を持ったはず。その違和感を無視せず、私やリーダーに伝え、行動で示してくれました。主体的な言動が増えるようになって、非常に頼もしいです。
山口さんの移籍経験を通して、組織にも良い変化がありました。山口さんのマインドの変化から影響を受けて、情熱を解放するような組織にどんどん変わってきているんです。我々が顧客に提供できる“価値”について、熱く議論する機会が増えました。
──山口さんの動きが組織に広がっているのですね。仕事の仕方に変化が生まれたのですね。
山口:業務自体がガラッと変わったわけではありませんが、プロジェクト全体で業務のやり方は大きく変化したと思っています。具体的には、エンドユーザーの声を拾い上げるようになりました。これまでは、エンドユーザーとの接点がほとんどない環境だったのですが、実際にヒアリングを行って、生の声をもとに推進していくようになったんです。展示会に参加する際も、ただ情報をヒアリングするのではなく、踏み込んだコミュニケーションをとるようになりました。
ちなみに、ヒアリングの際は、リーダーやメンバーにも同席してもらっています。「自分の携わっている技術が、このようにお客様の価値に繋がっているんだ」と感じられると、よりモチベーションに繋がることを知ったからです。
飯田:実は、山口さんが戻られる際、あえて顧客接点の少ないプロジェクトに戻ってもらおうと考えました。山口さんが経験してきたことを存分に活かしてもらえる環境で、新たな風を吹かせてほしいと。その期待を、山口さんは超えてきてくれました。
帰ってきた部下を見て生まれた、「自分も変わらなきゃいけない」という思い
── 山口さんが移籍したことで、飯田さんも何か影響を受けたのでしょうか。
飯田:かなり影響を受けましたね。移籍前は、「山口さんのマインドを変える機会にしてほしい」と思って送り出したのですが、マネージャーとしても、新規事業を創出する技術者としても、「山口さんだけじゃない。私も変わらなきゃいけない」と思うようになりました。移籍の中盤からは、山口さんが取り組んでいることを追体験するような気持ちで、「自分だったらどうするだろう?」と置き換えて考えるようになっていきました。
それと、マネジメントでもっとも重要なことにも気付かせてもらいました。スキームよりも、マインドを優先するということです。
── スキームよりも、マインドですか。
飯田:技術開発においては、アジャイルのスキームが必要になってきます。しかし、あくまでもそれは手段に過ぎないんですよね、顧客価値を創出するためにもっとも重要なのは、“情熱”なのだと、山口さんの急成長を見て実感しました。情熱を傾けながら仕事に向き合う、自分事としてやり切る。そんな組織を作るんだという意識を、マネジメントをするポジションとして、さらに強める機会となりました。
もう一つ、大企業の環境に感謝するということも、山口さんの移籍を通して身に染みて感じたことです。
── 環境に感謝というのは、どういったことでしょうか。
飯田:大企業はベンチャーと比較したときに“失敗できる機会”がめちゃくちゃ多いと思うんですね。それだけ検証を繰り返せるチャンスがあるわけです。そういう環境に感謝しなければならないと感じました。その反面、価値創出のスピード感もスジの良さもベンチャーに比べるとどうだろう、と考えさせられます。今いる環境に感謝をしつつも、正直悔しさも感じましたし、危機感も覚えました。
ベンチャーのように情熱を大事にしながら、アジャイルでスピード感を持って価値を創出していく。これからは、このことにさらに取り組んでいきたいです。
── 最後に。お二人は今後、どんなことを仕掛けていきたいと考えられていますか?
飯田:現在は、山口さんの移籍経験をきっかけに、組織作りに対して真剣に取り組んでいる最中です。組織全体が、同じマインドで行動できるようにするのが目標ですね。「もっと面白い新規事業ができるぞ」と、情熱を注ぎながら仕事に取り組むメンバーを増やし、それが組織全体に相乗効果を生めるような取り組みができたらと思っています。
山口:ライフワーク、つまり、自分の人生そのものをあらわすようなやりがいのある仕事に向き合っていきたいです。具体的には、顧客や社会全体がWin-Winとなる技術の開発と実用化です。
そのためには、もっと会社の技術について理解を深めないといけないと思っていますし、実際に現場に出向いて「この技術でなくては実現できない価値」を見つけていく必要があると考えています。現段階では、まだまだライフワークとなるテーマを探している最中ではありますが、ベンチャーでの経験によって培われた“情熱的なマインド”と“当事者意識”を大事にすることで、必ず見つけ出していきたいです。
Fin