「弱者の反撃」 さくら情報システム 佐原洋輔さん -後編-

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「弱者の反撃」 さくら情報システム 佐原洋輔さん -前編-

 目的が定まらなかった暗中模索の日々を抜けて、システム開発からデータ活用へと舵を切った佐原さん。しかしその先も順風満帆だったわけではありません。うまくできない自分を痛感して、「何度も諦めそうになった」と言います。しかし、そんな佐原さんを諦めないでいてくれたのも、またエールの人たちでした。

「できない」と向き合う大切さ

——システム開発からデータ開発に舵を切っていくとうかがいましたが、具体的にはどんな業務を行っていたのでしょうか?

 当時のエールは、これまでのサービスで蓄積したデータがしっかり整理されていませんでした。テストデータと本番のデータが混ざっていたり、関連すべきデータが関連づけられていなかったり。そうするとデータの信頼性が低く、データ分析をしたくてもできません。この状況を改善するために、データを整理して分析用のデータベースを構築することにしました。

 とはいえ、この段階から完成像が見えていたわけではありません。やっぱり最初は目の前のことしか見えていなくて、不正なデータを消去していくといった部分的な対応しかできていませんでしたね。

 状況が変わったのは、5月のゴールデンウィーク明けごろ。ここから3週間かけて、エールの内田さんと毎日壁打ちをすることになったんです。「一体何のためにやるのか」「このデータ分析やデータ活用の最終目標はどこにあるのか」などをアウトプットして、内田さんから徹底的にフィードバックをもらう。一歩進んで二歩下がるを繰り返すような経験でした。

——かなりの熱量ですね。

 進捗が悪い時には「明日まで終わらせる方法を考え行動をしてください」と言われて、必死にできる方法を探したこともありました(笑)。後から聞けば、内田さんにもゴールは見えていなかったそうです。ただ、僕のゴールやアウトプットの解像度が低くこのまま進めてもうまく行かないことはわかるから、とにかく佐原さん自身で考え抜いてもらうようにフィードバックしていたと。誰にもわかっていない答えを探し続けるのは、本当に大変な作業でした。

 単純に今まで経験のない作業ということもありますが、僕自身、考えたことを否定されることにあまり慣れていなくて。自分のできなさと向き合い続けるのはつらかったです。

 でも、同時に「できない」って言うのは大事なんだな、という気づきもありました。自分もそうでしたが、できない事実を受け止めたり、誰かに伝えたりすることって、苦手な人は多いですよね。だけどそれをちゃんと言葉にして公表すると、周囲の助けを得やすくなることもたくさんあります。

 「できる」を組み合わせて実現するというのはよく聞くけど、「できない」にフォーカスした例はあまり聞きません。「できない」ってことは、もしかしたら大きな可能性を秘めているんじゃないか。これをうまく活かすことができないか、その後の自分が仕事をする上でサブテーマのように考え続けています。

自分以上に、自分を諦めないでいてくれた

——最初におっしゃっていた「弱者の反撃」とも関わってきそうな気づきですね。3週間の壁打ちを経て、その後はどのように進めていったのでしょう?

 データ分析基盤の実現に向けてエンジニアの眞鍋さんと一緒に仕事をするようになり、そこから先もやっぱり壁打ちです。開発をどう進めたらいいのかプロセスを考えて、実際に進めてフィードバックをもらう、といったことを繰り返していました。

 ここでの作業は、思うようにスピード感を持って進められませんでした。気づけば移籍期間終了まであと2週間。この時点で、分析用データベースの理想形は見えていたものの、完成には程遠い状況でした。

 ここで終わらせる選択肢もあったのですが、それだと一生後悔すると思いました。だから眞鍋さんに「データベースを形にして、やりきったと思って終わらせたい」と伝えたんです。そうしたら、眞鍋さんが「じゃあやりましょう!」と背中を押してくれました。そこから2週間は必死でしたね。実現に向けて手段を考えて、そのために経験のないプログラミング言語も扱って、どうにかシステムを完成させました。

——自分で設定した目標を、最後までやりきったんですね。

 そうですね。もっとこだわれる部分はあったんじゃないかとか、本当は「面白そうなことやってるな」「これを使えばこんなことができるかも」と思ってもらえるような、取り組みに対するファンを作るところまで持っていきたかったとか、やり残したこともいろいろ思いつくんですけど……それでも、「形にするところまではやらなきゃ」と納得感を持って動けたのは大切な経験でした。

 僕、このレンタル移籍の期間中に何度も諦めかけてるんですよ。「自分ならできる」って心の底から思えた期間ってほとんどなくて、うまくいかなくて弱腰になることばっかりで。そういうことが続くと、認めたくないですけど「もうここで学ばなくてもいいかな」って気持ちが湧いてくるんです。でも、そこで「本当にそれでいいの?」と言ってくれたのがエールの人たちだと思います。エールの人たちが僕よりも僕のことを諦めずにいてくれたおかげで、最後まで走りきることができました。

エールのメンバーとの1枚

大切なことは「壁打ちと腹落ち」

——改めてレンタル移籍を振り返ってみて、どんなことを学んだと思いますか?

 「壁打ちと腹落ち」の二つが大切なんだと学びましたね。壁打ちで思い出すのは、内田さんとの3週間。ひたすら壁打ちを繰り返すことで、ようやくビジョンが明確になっていくんだと実体験を通して経験できました。

 腹落ちのほうは、眞鍋さんとの最後の2週間が大きいです。自分が本当に納得して行動することは力になるし、それができると他人への説得力も増すので、いろんな人を巻き込んでいくことができる。この二つは、これからも大切にしていきたいと思いました。

 コミュニケーションの大切さも学びました。エールには、「聴き合う組織をつくる」というサービスコンセプトがあります。そのため、社内でもお互いの話を聴き合うことを大切にしています。お互いの考えを共有することが事業をスムーズに進めることにつながると知ったので、さくら情報システムに戻ってからは、悩んでいそうな同僚や部下がいたら積極的に時間をとって話を聞くようにしていますね。

——どれも新規事業を進める上で大切な要素ですね。さくら情報システムに戻ってからは、どんな事業を担当しているのでしょうか?

 フィンテック関連の事業開発を進めているところです。具体的には、お客様が振込や決済を行う際、これまで一部お客様自身の作業が発生していたところを、さくら情報システムが一気通貫で担当できるようにするサービスです。

 このサービスはもともと上司の島のアイデアで、移籍終了後に僕が任されることになりました。自分が考えたわけではないので、正直最初は腰が重かったです(笑)。「せっかくレンタル移籍をしてきたのに、言われた仕事をやるのか……」って。でも、現場の人をはじめいろんな人に話を聞く中で、「このサービスは絶対にあったほうがいいだろう」と思うようになりました。サービスに着手する前に話を聞いたのは「壁打ち」だし、その中で自分なりの目的意識を得たのは「腹落ち」ですよね。

——さっそく経験が生きていますね。最後に、佐原さんの今後の展望を教えてください。

 まずは現在手がけているフィンテックの事業開発を進めていきたいです。ただ、これはすでにある事業の価値を向上させるもので、いわば守りの一手。将来的には、まったく新しいサービスで世の中の課題を解決するような、攻めの新規事業を立ち上げたいと思っています。さくら情報システムは業界内でも決して最大手ではないし、フィンテック企業として強いわけでもない。だからこそ、ここから一石を投じるような事業を作りたいです。

 次に、「できない」を活かすこと。できないことにもがいた経験があるからこそ、同じ立場の人の気持ちがわかるはず。この視点を組織開発や能力開発に生かしていきたいです。

 「語り合う会」という社内活動もはじめています。これは社内で面白いことをやりたいと思っている人に参加してもらって、自分のアイデアを話してもらう会。話した内容は会に参加した人だけの秘密です。さくら情報システムでは、 すぐに結果を求められることが多い気がしています。でも、思いついたばかりのアイデアは、いきなりやれと言われても難しい。やりたいという思いが醸成される仕組みができれば、これまで以上に新規事業も生まれます。この取り組みを続けていって、さくら情報システムが新しいことをはじめるための力になりたいと思っています。

 できないことを認めるのは、誰しも苦手なもの。しかしそれを認めることで、変わっていくことがあります。何度も諦めそうになりながら、「データベースを形にする」という自分で設定した目標を達成した佐原さん。それができたのは、佐原さんが「できない」と向き合うことで、エールの人たちが力を貸してくれたからです。
 認めて打ち明ければ、「できない」を「できる」に、「弱さ」を「強さ」に変えていける。その気づきは、これから佐原さんが手がける新規事業でも大きな支えになるはずです。

Fin

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協力:さくら情報システム株式会社 / エール株式会社
インタビュー:小沼理 

【レンタル移籍とは?】

大手企業の社員が、一定期間ベンチャー企業で事業開発などの取り組みを行う、株式会社ローンディールが提供するプログラム。ベンチャー企業の現場で新しい価値を創りだす実践的な経験を通じて、イノベーションを起こせる人材・組織に変革を起こせる次世代リーダーを育成することを目的に行われている。2015年のサービス開始以降、計45社121名のレンタル移籍が行なわれている(※2021年1月1日実績)。

 

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