ゴールは「お客様に届けること」。そのために必要なことは何でもやる-セイコーエプソン株式会社 松下友紀さん-
「新しい市場の開拓」に惹かれて
―松下さんがレンタル移籍に応募したきっかけを教えてください。
セイコーエプソンでは、入社以来ずっと技術開発本部に所属し、新規デバイスの開発に携わっていました。移籍前は私が開発リーダーとして関わっていたデバイスが手離れし、ちょうど商品化に向けた動きが進んでいた段階。
このタイミングで、何か新しいことに挑戦したいと考えたんです。
これまで開発に携わる中で、商品化までに時間がかかることが自社の課題だと認識していました。おそらく進め方に課題があるのだろうと考えていたものの、具体的にどうすればいいかがわからない。他社はどうしているのか興味があり、素早くサイクルを回しているベンチャー企業のやり方を知りたいと思ってレンタル移籍に応募しました。
―業務のヒントになる経験を求めていたのですね。移籍先に選んだのは、企業とアルムナイ(退職者)のリレーションに特化した企業向けサービス「Official-Alumni.com」を運営するハッカズークです。ハッカズークを選んだ理由を教えてください。
移籍先を決める前、ローンディールで行われた自分のWILL(ビジョン・ミッション・バリューなど自身がやりたいこと)を考える研修に参加しました。その時に浮かんできたのが、「新しいものを作って、世界や生活を変えていきたい」という思い。これは、僕がセイコーエプソン入社時に思っていたことでもありました。もともと自分は、新しいものを継続的に生み出していける組織を作り、関わっていきたいと考えていたことを思い出したんです。
新しい技術を開発する時は、どんな機能を作り込めばいいのか、どんなお客さんに売り込めばいいのか、どう市場を作っていけばいいのか、すべて手探りで進めていくことになりますよね。ハッカズークは、アルムナイという退職者に特化したこれまでにないクラウドサービスを提供しています。私が携わってきた新規デバイスの開発とは分野こそ異なるものの、まったく新しい市場を開拓しようとしている点では同じ。ここで働けば今後の参考になる経験ができるのではないかと感じ、応募しました。
必要なことは、まずやってみよう
――移籍中はどのような業務を経験したのでしょう?
クラウドサービスの品質保証、モバイルアプリの開発、サイトのSEO対策など、さまざまな業務に関わりました。スタートアップはビジネスの現場の要求に合わせて対応を変えていく必要があるため、働く時も柔軟性が求められます。これはセイコーエプソンとはまったく違う体験でしたね。
根本的に、プロジェクトに対するマインドが違うのだと再認識しました。セイコーエプソンでは、おおむねの方針や仕様が決まっていて、人員や予算がついた状態で微調整しながら進めていくことがほとんど。自分の役割が明確で、経験がある業務を的確にこなすことが求められます。
一方、ハッカズークは「必要なことはなんでもやっていきましょう」というモットー。知らないから、わからないからできませんではなくて、自分の考えが正しいかわからなくても、まずはやってみようというマインドなんです。そのため、リソースも限られている中で、特にレンタル移籍者である自分にとってはスキルがない分野でアサインされることがほとんど。
正直、最初は何からどう進めて良いのかわからず、かなり苦戦しました。
――状況を打開するために、何か工夫をしたのでしょうか。
最初の2ヶ月ほどは、自分が知識のない初心者だと悟られないように振る舞っていたんです(笑)。ただ、次第にそうして体裁を保っていても進まないことに気づきました。それにそうやって見栄を張るほどうまくいかず、自信もなくなっていくんですよ。そこで、「わからないのですが、どれくらいでできますか」「これって難しいですか?」と、エンジニアなどチームのメンバーに素直に聞くようにしました。
――知識がないことを認めて受け入れたのですね。
相手主導の分量は増えたかもしれませんが、自分にとっては大きな転換点になったと感じています。
たとえばモバイルアプリの開発にしてもそうですね。もともと僕は多少のプログラミング経験こそあったものの、セイコーエプソンではハードウェアが担当だったので、専門的な知識はなかったんですよ。QA(品質保証)を引き継いだ時点ではまだリリース前の段階で、アプリの完成度も高くはなく、自分の実力では一人で移籍期間中に理想的な完成度まで持っていくことは難しいと、ある時受け入れました。そして「最初は完成度が低くても、必要な機能を備えたものを素早く作ることを目指そうと、マインドが切り替わったんです。
結果的に、アプリの開発は移籍期間中で達成感を得たできごとの一つになりました。課題をすべて解決できたわけではないですし、かけた労力に対する完成度は決して高くないと思います。でも、未経験でアサインされてある程度かたちにできたのは成果だと感じています。
―「最初は完成度が低くても、まず自分ができることから実施していく」というのは、新しいことに挑戦する時には大切なマインドだと感じます。
頭ではわかっていても、実際に現場で動いていると「とはいえ最初から完成度が高くないとだめだ」とつい考えてしまうんですよね。最初は完璧でなくてもまず進めていくこと、そして進めながら考えていくマインドは、働きながら少しは身につけることができたかなと感じています。
学んだ「自分ごと化」のマインド
―移籍期間中、上司やメンバーから言われて印象に残った言葉はありますか?
数ヶ月経った頃、「変わろうとしているよね」という言葉をいただいたのを覚えています。
実際、最初は見栄を張っていたり、一方で、何かを進めるにしても確認したり意見を求めたりしすぎていて、うまくいかないことが多かったと思います。でも、ハッカズークで取り組む業務は未知のことばかりなので、話し合っても答えは出ないんですよ。自分なりの意見を持って進めていくことが大切なんだと気づいて、やり方を変えようとしていた時、そうしたコメントをいただきました。自分の姿勢を見てくれているんだとうれしかったですね。
メンター泉水さんとのやりとりも刺激になりました。当時は業務の内容がわからず、打ち合わせなどで質問ができないことに悩んでいたのですが、相談したら「質問が出てこないのは、業務がわからないからじゃなくて意見や思いがないからですよ」と。 はっとしましたね。それからは、簡単でも自分の考えを持とうと心がけるようになって、少しずつ質問も浮かんでくるようになりました。
―自分ごと化するマインドを教えてもらったのですね。
そうですね。「すべてにおいて自分ごと化してほしい」と、よく言われました。やっぱりこれまでは役割に徹していて、自分の業務には没頭しても、他のことには関心が薄い場合が多かったと思います。アドバイスを受けてからは事業に関わることなら積極的に知ろうとするようになりましたし、自分ならどう考えるか意識するようになりました。その意識は移籍から戻ってきてからも変わりません。
見えなかった課題に気づく
――移籍を終えた時、どんなことを感じましたか?
移籍中はとにかくがむしゃらでしたが、冷静に体験を棚卸ししてみると、本当にたくさんの経験をしたと気づきました。移籍を終えて自社に戻ってみると、社内の見え方も違っていましたね。
たとえば、ベンチャーではみんなが事業全体を見ていて、開発でジョインしている人であっても売上の動向や商談の内容を把握しています。一方、セイコーエプソンでは他部署との連携が薄いと感じたんです。なので、「この点が課題なんじゃないか」と、問題提起しました。良いものを作れば売れる時代ではないし、開発もお客様の声を聞き、営業部がどう売ろうとしているのか知るなど、営業と密に関係を築く必要があるのではないかと。
ちょうどそのタイミングで、自分が以前担当したデバイスを搭載した製品の技術的なサポートを、販売会社からリクエストされました。この製品は、従来“人に依存”していた色検査を自動化する「分光ビジョンシステム」というまったく新しい機器です。販売支援に関わることで、業務全体を理解しながら営業の方々とも関係を築けると思い、すぐに引き受けました。現在は販売のためのマーケティングや営業戦略にも関わっています。
――開発だけでなく全体に関われるようになったのですね。他には、移籍前後でどんな変化を感じますか?
先ほど話した「自分ごと化」のマインドを持てるようになったことは大きいです。これまでは与えられた戦略をこなすだけでしたが、移籍から戻ってきてからは「なぜこの戦略なんだろう」「何か改善点はないかな」と考えるようになりました。
他には最近、自分が開発したデバイスを使った事業の採算性を検討する機会がありました。以前であれば、厳密にわかっているデータをもとにした検討しかできなかったと思います。でも、今は目標やビジョンを設定して、ロードマップを作れるようになりました。間違っていてもいいから作ってみて、違ったら修正していく。そのやり方が身についたのは、ベンチャーを経験したからこその大きな変化だと思います。
全体の中の役割を考えると、当事者意識が生まれる
―「自分ごと化」も「まずやってみる」というマインドも、新しい事業に取り組む上ではとても大切なことですよね。松下さんはマネジメント職でもありますが、マネジメント面で移籍が役だったことはありますか?
縦割りで部署ごとに分かれていた業務に対して、全体を俯瞰して自分がなぜこれをやらないといけないのか、他部署とどう連携していくかを考えられるようになったことでしょうか。これは組織的なマネジメントに役立っていると思います。
移籍から戻ってきて感じたのが、ベンチャーのようにまだスケールが小さな企業であれば事業全体や経営を把握することは感覚的に可能ですが、セイコーエプソンのような大企業ではその意識が芽生えにくいということです。企業規模が大きいほど組織の壁は大きくなり、役割に徹してしまうのは構造的に仕方ない部分もあったんですよね。でも、ベンチャーは人を巻き込んで、自分から絡みにいってでもやり通す文化。そのやり方のメリットに気付けたのは、会社の外に出たからこそです。
開発部とやりとりをする時は、メンバーにもこの意識を持ってもらえるように働きかけています。開発だけに集中するフェーズもあるのですが、あくまでもゴールは「お客様に届けること」。全体像を見た中で自分は何をすべきか考えることで、世間に製品を出すための当事者意識が生まれます。他部署とどう接点を持つか、どう一緒に協力していくのか、僕なりのやり方を共有しながら社内の風土を変えていきたいです。
自分の専門性を強く意識
――ところで、松下さん達が開発したデバイスを搭載している3製品が続々ローンチしたと伺いました。
そうですね、開発に長い期間かかっていたこともあり、市場に出せたことがひたすら嬉しかったです。一つ目と二つ目にローンチした製品は、すでに世の中にある製品をアップデートして置き換えるようなものだったので、大企業のネットワークを通じて順調に広がっていく手応えを感じていますね。
三つ目は先ほども少しお話した「分光ビジョンシステム」なのですが、これはまったく新しい製品。ローンチできたことに一旦は安堵したものの、そもそもどういうお客さんのニーズがあるのか、どういう使い方をされるのか、まだ読めない部分が大きいです。
――不安もあると思いますが、未知の要素が多いほどベンチャーでの経験が活きてきそうです。
間違いないですね。未知の製品を扱う時には、大企業らしい極力失敗しないやり方ばかりではなく、リスクを取っても前進していくやり方やマインドが求められます。そこでは、ベンチャーでの経験が活きてくると思っています。
――レンタル移籍を経て様々なマインドの変化があったことが伺えます。
一方で、自分の専門性を強く意識するようになりました。全体を理解することは大切ですが、自分の軸が技術開発にあることを改めて意識して、どう活かしていくのか考えないといけないと思いました。
セイコーエプソンにはそれぞれの分野のプロがいます。プロジェクトを進めていく時には専門家の意見を聞きながら進めたいですし、自分も専門家として意見を言えるようにならなければと思っています。
――最後に、松下さんの今後の展望を教えてください。
新しい製品を素早く、かつ継続的に市場にだせる組織にしていきたいです。社内にはまだ世の中に出ていない素晴らしい技術がたくさんありますが、スピード感を持って進めなければ時代に取り残され、ニーズがないものを作ることになりかねません。新しい製品を市場に出すために、乗り越えなくてはいけないものは技術開発だけではありません。
一方で、新しい製品に対して最も思い入れがあるのはエンジニアであると自身の経験から思っています。そのエンジニアが技術だけでなく事業や顧客を見据えて行動することが、開発スピードの向上や製品を素早く市場にだすことにつながっていきます。
レンタル移籍と移籍後の貴重な活動を通してこのことを実感できたので、この経験を他の開発者へ水平展開して、組織の力を底上げしていきたいですね。
Fin