「同じ志を持つ人同士がつながれる場をつくりたい」外に出て気づいた自分のWILL / 小野薬品工業株式会社 大内悠太郎さん
目次
コロナをきっかけに生まれた疑問
――入社以来続けてきたMRの仕事に、疑問を抱くきっかけがあったのですか?
MRの仕事にやりがいはありました。特に、小野薬品は患者さん一人ひとりの治療経過を大事にしています。自分が提案した治療選択肢が患者さんのお役に立てたことを医師からお聞きすると、「小野薬品のMRをしていてよかった」と感じます。
ただコロナ禍になり、患者さんやそのご家族も通院を控える中で、医療機関に出入りすることが容易にできなくなりました。そうした背景もあり、もっと広い視野で、違った方法で病に苦しむ患者さんに向き合うことはできないのかを考えるようになりました。
――そのタイミングで、レンタル移籍に応募したということですが、なぜでしょうか。
そうですね。私は小野薬品が好きで、自社の仲間も好きなので、転職という選択肢はありませんでした。小野薬品は辞めたくないけど、外の世界も見てみたいという欲張りな私にとって、レンタル移籍はありがたい制度でした。それに、もしも会社の看板を外した時に、自分の実力が通用するのかという、そうした漠然とした不安があったので、それを試すいい機会になりそうだなと考えました。
ですので、9年間所属していた会社の外に出るのはためらいや不安もありましたが、自ら手を挙げて挑戦させてもらいました。
“若い世代のこれから”に携わる事業
――ベンチャーに移籍して挑戦したいことは決まっていましたか?
実は最初はまったく決まっていませんでした。ですが、移籍前に自分のWILL(自分が大切にしているビジョンや、心から成し遂げたいと思うミッションなど)を発掘するローンディール主催のワークショップが大きなカギになりました。これまでの人生を振り返り、どういう時に気持ちが上がり、どういう時に気持ちが落ちるか、人生曲線を描いてみました。
高校生の頃に進路で悩み、気持ちが落ちた時は、部活の顧問の先生が「偏差値だけでなく、部活で大学を決める方法もある」と、選択肢を増やしてくれたことがありました。社会人になってからは、中途採用で入ってきた同僚に、より専門的な知識や経験が求められるがん領域のMRのやりがいについて教えてもらい、抗がん剤担当のMRの道に進むという新たな選択肢を見つけました。
これらの経験を思い出して、次は自分自身が若い世代に選択肢を提示するようなことをやっていきたいというWILLが見えてきました。この自分のWILLと、一番共感できる団体に移籍しようと考えました。
――大内さんのWILLと合致したのが、むすびえだったんですね。
むすびえの「こども食堂の支援を通じて、誰も取りこぼさない社会をつくる。」というビジョンを見た時に、自分のやりたいことと社会から求められている課題がマッチしていると直感しました。
2016年に東京から山梨に転勤し、2019年に長男が生まれましたが、東京に比べると山梨は子育てに関する選択肢が少ないと感じていたんです。子どもを育てる親としても、地域創生につながる事業内容に魅力を感じました。
――大内さんが抱えていた思いにも、マッチしたんですね。
こども食堂とは、子どもが一人でも安心して行ける無料または低額で食事を提供する場であり、民間発の自主的かつ自発的な取組みです。ただ、私はこども食堂の実態を知らず、貧困家庭の子や食事が食べられない子が行く場所だと誤解していたんです。
しかし、移籍前の面談でむすびえ理事の三島さんから、「こども食堂はいろいろな子どもや高齢者が集まる賑わいの場、地域に欠かすことのできない場」と教えてもらい、印象がガラッと変わりました。実際にこども食堂に対する興味・関心が強くなり、知らない世界に飛び込みたいという想いから、移籍を決めました。
「むすびえの人になりきれていない」
――むすびえに移籍して、環境の変化に戸惑いはなかったですか?
「デスクがない」「部署がない」「上司がいない」の3つの「ない」に戸惑いました。
小野薬品では、出社すれば自分のデスクがあり、身近に先輩や同僚がいる環境で、さらにMRという職務もあり、何か困ったことがあれば甘えられる上司もいました。しかし、むすびえの環境はまったく違いました。
メンバーはフルリモートで、通勤して自分のデスクに向かうことはありません。部署もないので、「この仕事をやってください」と任されることもなく、メンバーの関係もフラットで上司と呼べる存在もいない。自分の居場所を、自分でつくり上げないといけないと思いました。
――むすびえでは、どのような業務に関わりましたか?
大きく2つの事業に、取り組ませてもらいました。1つは、もともと関心があった地域創生にあたる地域ネットワーク支援事業。それぞれの地域でこども食堂を支えているネットワーク団体の方々とともに、その地域のこども食堂の立ち上げや、運営者さん同士の交流づくりを行います。
もう1つは、企業・団体との協働事業。「こども食堂を応援したい」といった問い合わせをくださった企業・団体とこども食堂を結びつける事業です。私が企業出身ということもあり、一部の企業との連携を担当させてもらうことになりました。
――どちらも対外的なやり取りが多そうなので、MRの経験が生きそうですね。
私としては、外部の人に製品やサービスを紹介する場面に慣れているつもりだったんですが、うまくいかなかったです。企業との打ち合わせに同席してくれたむすびえのメンバーに、
「大内さんが話すとウソっぽい」
「むすびえの人になりきれてない」
と言われて…。メンバーから「こども食堂に企業さんからの支援が届くことで、どれだけの人が助かるか。そういうことを、大内さんがもっと企業に伝えられたんじゃないか」と言われました。
私はこども食堂のことを全然知らなかった、こども食堂の運営者さん、サポートされる方々、そこに集う子どもたちやその保護者さん、地域の方々の想いがわかってなかったんだって、思い知らされました。説明資料に書いてある言葉だけで、人に想いを伝えることはできなかったんです。
――ショックなエピソードですね。どう乗り越えていったのですか?
こども食堂の現場に出向いて、どんな子どもたちが足を運んでいるのか、どんな方が運営されていて、どんな方々が支援されているのかといったことを、自分の目で見て知るしかないと思い、いろんな地域のこども食堂を訪問しました。そこで見たものを企業の方をはじめ多くの人に伝える仕事を、1年間続けました。
自ら現場に出て情報を取りに行くことは、MRでもやっていたことだったので、過去9年間の経験が生きたのかなと思います。
現場で得た“熱量”が結果につながった
――現場に出たことで、事業の進め方も変わりましたか?
移籍して4ヶ月くらい経った頃に、全国のネットワーク団体の代表の方々が集まるオンラインイベントの事務窓口を担当しました。周囲のメンバーに頼りながら手探りで進めていったんですが、イベント当日は参加された方々のあたたかいつながりを実感することができました。この時、ようやくむすびえの人になれた気がしました。
やはりこども食堂の現場に出向いた経験は大きかったです。現場で得た経験や見た光景をダイレクトに伝えることで、何かできることをしたいという自分自身の熱量も伝わるんですよね。現場を知った人と知っていない人では、大きな差があるなと。
――イベント以降は、事業にもより前向きになっていきました?
そうですね。特に注力した事業の1つ、東京都の島しょ部・町村部のこども食堂立ち上げ支援プロジェクトでは、さまざまな地域のこども食堂を訪ねた経験が生きました。
全国の離島や中山間地域でこども食堂を運営されている方の話やそこの課題をヒントに、東京都の島しょ部・町村部の現状に照らし合わせて、打開策を地域の方々とともに考えました。移籍期間の関係で最後までは立ち会えなかったのですが、移籍後に大島町のこども食堂1箇所目が立ち上がったことを知り、とてもうれしかったです。
――現場で得た経験が、実を結んだんですね。
はい。もう1つ、深くコミットしたのが、こども食堂10周年プロジェクトです。2022年はこども食堂が始まってから10年目の節目の年でした。むすびえのメンバーと対話を重ね、こども食堂10周年のロゴをつくり、こども食堂に関わられている方々に使ってもらえるようにしました。
支援企業・団体にロゴを使っていただくとともに、「こども食堂応援団」になってもらうことで、業界や業種が違っても同じようにこども食堂を応援している仲間という共通点を感じてもらい、ムーブメントを起こすきっかけになったらと。企業の方々と向き合い、その思いが伝わった実感がありました。
――現場に出たことで、事業の進み方も変わっていったんですね。
現場に出た理由の1つに、むすびえのメンバーに会うためというものもありました。オフィスもデスクもないので、現場に行くしかメンバーに会う方法がなかったんです。理事長の湯浅さんをはじめ、メンバーと直接会ってコミュニケーションを取ることで信頼関係を築いていけたので、事業にも取り組みやすくなったんだと感じます。
「何のために働いているのか」を見つけた
――改めて移籍していた1年間で、どのようなことが得られましたか?
移籍中は、内省する機会もたくさんありました。毎週週報を書き、ひと月終わったら月報を書き、自分で「体力」「気力」「仕事」に点数をつけ、毎週メンターからのフィードバックもいただきました。
その中で、自分がどのような選択をしたら、どのような成果を上げたら気持ちが上がるのかという部分を客観的に見られたことが、移籍中に得た大きな気づきだと思います。
――大内さんの気持ちが上がる選択や成果とは?
同じ志を持った人たちをまとめ、つながりの場を生み出す活動をしている時や、その場が実現した時に、心から「やって良かった」って思えたんです。新たなこども食堂の立ち上げに動いた時も、企業の方に集まってもらい、「こども食堂応援団」に参加いただいた時も、気持ちが上がりました。
それから、移籍前は「若い世代に選択肢を提示する」というWILLを掲げていましたが、むすびえでの経験を経て、「同じ志を持つ人同士がつながれる場をつくる」というWILLに変わりました。
――経験したからこその気づきも大きそうですね。
そうですね。あと、メンターの伊藤さんにかけられた言葉も、大きな学びでした。1on1の時に、世間話的に「移籍先で忙しくて、なかなか家事や育児ができなくて」と話したら、「仕事でいくら目標達成しても、家事や育児をほったらかしにしたら偉くもなんともないですよ」って言われたんです。
仕事ができているのは家族のおかげだと忘れるな、ということですよね。また、こども食堂の中には、仕事も子育てもしているお母さん、お父さんたちが運営しているところもあって、その人たちの想いを知らずに同じ目線で対話することなんてできない、という伊藤さんのメッセージも込められていた気がします。
それから家族との時間をつくるよう、意識するようになりましたね。
あっという間の1年でしたが、移籍の最終週にむすびえと小野薬品の面談があった際に、湯浅さんがかけてくれた「むすびえの大内をよろしくお願いします」という言葉が、印象的でした。
最初の頃に「むすびえの人になりきれてない」と言われた経験がずっと心に残っていたので、「むすびえの大内」と言ってもらえたことがうれしかったですし、自信につながりました。
経験を経て変化したWILL
――移籍を終えて現在、小野薬品ではどんなお仕事をされていますか?
小野薬品に戻ったら小野薬品の価値や魅力を社内外に発信したい、という思いがあり、広報部に着任する形になりました。
特に社内においては、一人でも多くの社員に「小野薬品で働いていて良かった」と思ってもらうことを自分のミッションに掲げ、社員のエンゲージメントを高める施策を考えています。
そのひとつが、同じ志を持った社員同士のつながりを生み出すネットワークの形成。具体的には、海外の現地法人の社員も利用するポータルサイトの企画、運営を行っています。グローバルに社員間のコミュニケーションや各拠点・機能での業務を効率よくサポートすることを目的に始まった施策です。
グローバルなコミュニケーションが増えると、国内の社員も自社製品が海外展開されていることが感じられて、エンゲージメントの向上につながると思うんです。
――多方向のコミュニケーションで、エンゲージメントを高めていくんですね。
そうしていきたいですね。1年間こども食堂に携わり、こども食堂の運営者さん、社会福祉協議会や民生委員、地域をいろんな形で支えてらっしゃる方々、さまざまな世代・立場の人と交流したことで、多様な意見を持った人がいることを実感しました。
社会課題と向き合ういろいろな人の顔が思い浮かぶようになったからこそ、さまざまな価値観をもった人の意見がある中で、どう社会に貢献していけばいいか、という発想ができるようになったと感じています。この経験を持って、社内外の多様なステークホルダーに向き合っていきたいです。
「自分は何のために働いているのか」という命題を抱え、レンタル移籍に臨んだ大内さん。新天地での仕事に悪戦苦闘しつつ、内省を繰り返すことで、答えを見つけ出すことができたのです。インタビューの最後には、「貴重な経験の場となった越境学習の魅力も、多くの人に伝えたい」というもうひとつのミッションも教えてくれました。小野薬品のキーマンとなり、社内に“働く意味”を届けてくれることでしょう。
Fin