「正解」を探すことをやめて、初めて見えた仕事と自分への向き合い方 / 小野薬品工業株式会社 森﨑悠太さん

「自分にもっと自信が持てたら、仕事も楽しくなるんじゃないか」。
ずっとそう思い焦っていたと話すのは、小野薬品工業株式会社(以下、小野薬品)の森﨑悠太(もりさき・ゆうた)さんです。「自分でなにか成し遂げる経験をし、自信を得たい」と手を挙げ、カメラのサブスクリプションサービスを提供するカメラブ株式会社(以下、カメラブ / 現・GOOPASS株式会社)に1年間レンタル移籍をしました。

「社外で成果を出す」という大きなプレッシャーを自らに課し、カメラブに向かった森﨑さんが今回語ったのは、「自分でやり遂げるか否かは、正直どうでもいい」という、移籍前の気持ちとは180度異なる言葉でした。そこにはたくさんの気づきと、仕事、そして自分への向き合い方の大きな変化がありました。一体、どんな心境の変化があったのでしょう。

※ カメラブは2023年3月に「GOOPASS株式会社」へと社名変更。

応募動機は「自信のなさ」からの脱却

ーーまず、レンタル移籍への参加を決めた経緯を教えてください。

小野薬品の「Voyage to Venture」という取組みに応募したのが始まりです。会社の看板が通用しないベンチャーで1年経験を積むという取組みで、製薬会社である小野薬品がより広く事業を展開していくため、社員の視野を広げる目的で始めたものです。

その中の一環で「レンタル移籍」が導入され、募集を知ってすぐ思いきって手を挙げました。社内選考を経て、1期生として僕を含めた5人が決まりました。

ーーどうして手を挙げたのですか?

1つは、危機感です。製薬会社は多くの患者さんを救うという使命がありますが、新薬を世に出す成功確率はごくごくわずかです。さらに業界での競争は年々激化しており、厳しい戦いに挑み続ける必要があります。

そうした時に僕たち世代が会社を引っ張っていかなければなりません。でもこれまでの自分の実績を振り返ったときに、「修羅場経験もない状況で、果たして新しい時代を切り開く舵取りができるんだろうか?」という危機感があって。レンタル移籍であればそんな経験ができるんじゃないかと思いました。

もう1つは、会社の看板がない環境でやり遂げられたら、自分に自信が持てるんじゃないかという理由です。5年ほど事業戦略部で海外のバイオベンチャーとの提携案件を担当したのですが、上司や先輩に助けてもらうことばかりで。僕が主担当とされている仕事も、自分だけの力でやり遂げたわけではないので「これを自分がやったと言っていいのかな……」というモヤモヤがありました。

もともと自分に対して自信を持てるタイプではなく、周りの人と自分を比べることもあったので、会社の外で自分でやり遂げる経験ができればそのモヤモヤが払拭されるんじゃないかという思いがありました。

ーー移籍先はどのような軸で選んだのですか?

まずは、今と全然違う業界にしようと思っていました。
少しでもこれまでの経験が使えてしまうと、「違う環境でやり遂げた!」という自信にならないと思ったんです。また小野薬品は薬という「モノ」を扱っているので、「サービス」を提供している業界が良いとも思いました。たとえば何か提案するとき、僕のプレゼンが下手だったとしても、「モノ」については知識があれば相手が善し悪しを判断できます。ただ「サービス」は形がないので、喋る人がどれだけ魅力的に見せるかがポイントになるかと思って。その点でも今と違う業界を中心に選ぼうと思いました。

そんなときに、いくつかの会社のピッチを聞く機会がありました。そこでカメラブ代表の高坂さんがお話しされていた「カメラのサブスクを始めた理由」に共感して、興味を持ちました。移籍が決まったときは「行きたい会社に行ける!」と思いワクワクしました。

2つのプロジェクトを兼任

ーー実際にレンタル移籍が始まって、初めはどんな印象でしたか?

コミュニケーションに苦労しました。誰と喋ったらいいかわからないし、そもそも業界が違うから知識もないですし……。初日のことをよく覚えているのですが、終わった後「このままでは1年間何もできそうにない」と思って、胃が痛くなりました。

今思えば初日にそんなことを気にする必要ないのですが、当時は焦っていました。「自分でなにか成し遂げ、自信を持ちたい」という気持ちが強かったので「この1年何もできなかったら、自分はもう一生悩み続けるかもしれない……」と思ってしまって。早く実績を出したくて焦って、でもわからないことだらけで日曜の夜も憂鬱でした。

ーーそんな状況に、どのように向き合っていったのでしょうか?

とにかく周りの人と喋る機会を作っていましたね。人が足りないチームから手伝いを求められたら必ず行くようにするとか。周りに話しかけることを放棄して閉じこもることだけは避けようと思い、少しずつメンバーとのつながりを作っていきました。周りの方から、最初からそんなに焦る必要はないと言っていただいたのも支えになりました。

それから、移籍初月に2泊3日で山梨県への営業回りに同行したことも、メンバーとのつながりを持つ大きなきっかけでした。

ーそれは良かったですね。具体的にはどのような業務を担当したのですか?

最初は、GOOPASSサービスの利用促進のために、新規提携先を見つけることと既存提携先との関係を深耕するアライアンス業務を担当しました。

最初の頃、とある社内プロジェクトにおいて僕が全体の計画を立てることになったのですが、「こんなレベルでいいのかな…」と見せるまでに一週間くらいかけてしまったんですね。でもいざ見せてみたら「すごいちゃんとしてる!」という周囲からのフィードバックがあって。自分の先入観で「このレベルでは見せられない」と決めずに、早く見せることが大事だということを学びました。

このことをきっかけに、僕に「大手量販店との協業プロジェクトに参画させてみては」となったようで、いわゆるプロジェクトマネージャー(以下、PM)のような立場で参加することになりました。同時期に電動バイクのサブスクプロジェクトも始まり、そちらのプロジェクトにも参画させてもらいました。

大手量販店との協業プロジェクトは、私が参加する以前から実証していたサービスを正式なサービスとしてリリースするための動きをしました。電動バイクのサブスクプロジェクトはゼロからMVP(Minimum Viable Product)としてリリースするために必要なことを、各所の協力を仰ぎながら、全部やっていくことに。

全体のスケジュールを調整しながら、各担当者に仕事の割り当てについて依頼したり、各担当からの意見を全体にフィードバックするなどの調整を行っていました。エンジニアとのコミュニケーション、PR面や法対応なども周りにサポートいただきながらではありますが自分でも進めることになって。2つのプロジェクトが並行していたので、大変でしたね。

ーーそれは大変そうですね。

「もし期待に応えられなかったら、別の方に交代されてしまうかもしれない」というプレッシャーもありましたが、頑張ったら「自信を持ってやったと言える経験」になりそうだという期待もあり、とにかく頑張ろうという気持ちでした。

正解はない。課題は「自分を信じられなかったこと」だった

ーー苦労もあったのではないでしょうか?

会議の進行であったり、議論したうえで決めていったりというような経験がこれまであまりなかったので、その点で非常に苦労しました。特に決めることに関しては、会議で「これで行きましょう」と決まったとしても、「これで良かったのかなあ……」とよく不安になっていました。正解がない中で意見をまとめて決断することの難しさと、移籍以前は会議や議論にあまり積極的に加われていなかったと改めて反省しました。

プロジェクトは進んでいても、自分としては今一つ手応えがないというか。周りで支えてくれた方々がとても優秀な方たちだったので、「別の人が進行したらもっとスッキリまとまったのでは……」と考えることもよくありました。

ーーどのように克服したのでしょうか?

いろんな人に、「僕、どう見えますか?」と率直に聞いてみました。そのとき「周りを伺っている感じが気になることはあります。正解を探しすぎかなと思います」というフィードバックをいただいて。「ああ、正解を探しすぎていたのかも」とすごく腑に落ちました。

ーー大きな気づきだったのですね。

そうですね、大手家電量販店とのプロジェクトは周りに支えられながら、サービスリリースすることができました。その瞬間は非常に充実感がありました。ただ、振り返ってみると自分がどうして「正解ばかり探してしまうのか」の理由については依然としてモヤモヤしていたからか、当初思い描いていた程の充実感は無く……。

そんなタイミングで、たまたま経営会議に参加させてもらう機会がありました。何か発言したいという気持ちはありましたが言うことが思いつかず、文字通り「聞いているだけ」になってしまったんです。

その会議に参加されていた方と、1対1で話す機会がたまたまあったので、経営会議の時に何も言えなかったときの話をして、「いつもどうやって発言しているんですか?」と聞いてみました。そしたら「意見に正解はないから、いったん自分の中で説明して自分が納得したらあとは自分を信じて発言するようにしている」と。

自分と周りの違いは、「自分の考えを自分自身で信じてあげることが出来るかどうか」なんだなということがはっきりとわかりました。この気づきが1年間の中で一番大きな気づきだったかもしれません。

ーーその気づきから、何か行動されたのでしょうか?

ちょうどもうひとつ、バイクのサブスクリプションサービスのリリースを担当していたのですが、僕にとってはまさに「正解がない課題に向き合う」格好の機会でした。「とにかく、出来ることについてPDCAを回して受注につなげよう」と、最後の3ヶ月はとにかく自分に向き合い行動することを意識して、突き進みました。

ーーまさに、ご自身の課題に立ち向かう機会になったのですね。

はい。その中で、当初想定していたユーザーのペルソナ像を再考する必要があるのではないかとの思いに至り、メンバーに伝えたことがありました。するとメンバーからは「その方向性で本当に正しいのか?」という意見がでてきたんです。

「なるほど、それもそうだな」と思う一方で、最善策を求めて検討を続けるよりも、自分の考えを信じて、「もう一度ペルソナ像の整理からやり直しませんか?」と押し切りました。

あの瞬間は自分の中ですごく印象的でした。普段はデータをもとに議論することが多いので、やって効果があるかどうかわからないことをやってみようと言うことは殆どなかったと思います。また、周りから「なるほど」と思える意見が出ている中で、「それでも自分はこうやりたい」と主張することもありませんでした。

今回も、ペルソナ像を考え直すことが本当に必要なことかはわからなかったですし、議論で出てくる意見の一つひとつは「確かに」と思えるものばかりでした。そんな中で、「うまくいくか分からないけど、やってみませんか」と提案し、みんなの納得を得たことはすごく大きな変化だと思いました。

そのあとすぐにペルソナを再考し、その内容を基にYouTube動画を撮影したり、LP(ランディングページ)を更新したり、タグラインを作ったり、体験レビュー記事の連載をしたり、社内社外問わずたくさんの人に手伝ってもらいながら、出来ることをやっていきました。

結果的に、移籍期間中に無事リリースし、受注を得ることができました。自分たちの考えたサービスにお金を払っていただく。という初めての経験ができてとても嬉しかったです。

「自分が成し遂げたい」から「チーム目線」へ

ーーその行動ができたことには、後押しになる要素があったのでしょうか?

「残りの3ヶ月で絶対に受注を取りたい」と思う気持ちがあったのが大きかったと思いますが、周りの方のサポートにも大変助けられました。まずメンターの助光さんにはたくさんアドバイスをもらいました。やりたいことに対して外部の専門家を紹介していただきましたし、「まだまだ粗いよ!」など厳しい指摘もいただきました。社内でも、プロジェクトメンバーではない人も含めて、いろんな方に意見をもらいました。

それから、「すぐ人に話すこと」が大事だとわかりました。自分の中で整えてから相談と考えるのではなく、とにかく人に話しながら作り上げていく感じです。その方が、自分が当初考えてなかったレベルまで考えが洗練されたり、自分一人では出会えないような人に繋げてもらうことも経験できたりしました。また、全部完璧に自分でやるのではなく、自分で出来ないと思うことはどんどん周りに助けてもらいに行くというスタイルは、自分にとても合ってるなとも思いましたね。

ーーまさに「自分で成し遂げる」という経験ができた瞬間だったのではないでしょうか?

そうですね。ただ、正直そのときには「自分が成し遂げて自信を持ちたい!」というところは、どうでもよくなっていました。

今思うと移籍当初は自分がどうこうという「私目線」が強かったと思いますが、実際には一人ではここまでのことはできなかったですし、周りに頼ったほうがスピードも速くなり規模も大きくなることを実感して、最終的には「チーム目線」を得たのだと思います。

ーーちなみにチームで取り組んだことで何か印象的なことはありますか?

どちらのプロジェクトも、後半は僕の業務を引き継いでもらう方とチームで進めました。ある時、「私、全然手応えがないんですけど、ちゃんとできているのですか」と言われました。自分としては助かっていると思っていたので、そう言われたことがすごく印象的でした。そこから、どの仕事からお願いしたらやりがいを感じてもらいやすいかとか、どれくらいの対話を持てば楽しいと思ってもらえるかについて自分なりに考えるようになりました。

また、もともとなんでも引き受けて自分でやりがちなところがあるんですが、移籍の残り日数が少なくなるにつれて、「自分がいなくてもプロジェクトが回るにはどうしたら良いか」に意識が向くようにもなりました。そういったことが「チーム目線」を持てるようになったことのきっかけになったんだと思います。

ーー改めて、移籍期間の自分を評価するといかがでしょうか?

自分の価値観を変える経験ができたので、よく頑張ったと思いますし、とても満足しています。全部を完璧にこなすことはできていませんでしたが、それを気にしないようになったことも大きな変化だと思います。大手家電量販店のプロジェクトは、最後のミーティングの質疑応答で質問に対して外した回答をしてしまい、理想と違いきれいに終われませんでした。でも「まあいっか。自分はきっとそういうタイプだな」と思って。

今回のレンタル移籍がなければ「やっぱりだめだな」と考えていたと思うので、そう思えるようになってものすごく良かったです。

代表の高坂さん(左)・取締役COOの美園さん(右)と、森﨑さん(中央)

心がけたい「無邪気なアウトプット」

ーー小野薬品に戻ってから、意識されていることはありますか?

カメラブと比べて、小野薬品は組織の規模も大きく、別の部署にどんな人がいて、どんなことをやっているか見えにくいなと思いました。もっと横同士の関係を強くしたいなと思いました。カメラブでの取り組みを参考にして、希望者でランダムにグループを作りランチに行く機会を設けました。まず自分の部署で小さく始めたのですが、好評だったら少しずつ少し範囲を広げていきたいなと思っています。他にも、定着するかどうか分からなくても、「これはやってみたらいいのでは」と思ったことは無邪気にやってみるようにしています。

ーー「無邪気」というのはキーワードかもしれませんね。

メンターの助光さんから頂いた、「たたき台を持って行って叩かれる人が一番偉い」という言葉が非常に心に残っていて、これからも大事にしたいと思っています。「雑な状態でも一度持っていく」方が結果的に速くレベルも高くなるという経験が出来たので、帰ってからもその姿勢を続けていきたいと思っています。

ーそんな行動から、会社の雰囲気や仕事の仕方も徐々に変化していくかもしれませんね。

僕ひとりができることは大したことないですが、ボトムアップで面白い企画を提案する人が増えたり、レンタル移籍に関しても、ひとりでも外の世界に興味を持ってもらえたりすれば、会社規模で何か変わるかもしれないと思っています。

レンタル移籍を通じて、大きく仕事、そして自分への向き合い方が変わった森﨑さん。それは、自分が出会った感情や印象的だった言葉の一つひとつをしっかりと内省し、そして目先の行動を少しずつ変えていったからこそ得られたものでした。中でも、自分に高いハードルを突きつけていた森﨑さんが、最後「よく頑張った」と自分を評価した言葉は、特に印象的でした。「自分を信じて仕事ができる」という今回得た強みは、これからどんなに厳しい場面に出会っても、必ず大きな味方になるはずです。無邪気なアウトプットを通じてさらに進化を遂げた森﨑さんの数年後の姿が、今から楽しみです。

Fin

協力:小野薬品工業株式会社 / GOOPASS株式会社

インタビュー:大沼芙実子

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