「この仕事に、夢やビジョンはあるのか?」パナソニック 濵田 広大さん-前編-

 先進技術と幅広いソリューションを展開するパナソニック株式会社。「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助氏が創業し、日本の生活の近代化に大いに貢献してきた企業である。
 今回、レンタル移籍の主人公・濵田 広大(はまだ・こうだい)さんは、新卒で入社し、今年で勤続15年。現在はシステムバス事業の商品企画・営業販売企画を担当している。着々とキャリアを積みあげてきた濵田さんはなぜ今、レンタル移籍という道を選んだのだろうか。また、仕事のスピードも風土もまったく違うベンチャー企業の一員となることで、何を掴もうとしたのだろうか。濵田さんの言葉から紐解いていきたいと思う。

ー社会に役立つ製品を届ける仕事

 大学でラクロス部に所属していた濵田さんは、部活動のつながりでたくさんの人と知り合う機会が多かったそうだ。部活以外でも多くの人とつながりを持ち、当時携帯電話の電話帳には、500人ぐらいの登録があった。ちょっとした困りごとがあっても多くの人が手を差し伸べてくれ、「人とのつながりによって人生が切り開かれていくんだ」という感覚を味わったそうだ。

 「松下電工(現・パナソニック株式会社)に入社した理由も、たくさん人脈を増やしたいというのが根底にあって。様々な職種の中でも、外と触れ合う仕事は営業かなと思ったんです。どうせ営業をするなら、社会に役立つものを扱う会社に就きたいという思いで、就職先を探しました」

 その思いの先にたどり着いたのが、パナソニック株式会社だった。入社前は、 街灯など照明を扱う仕事をしたいと考えていたが、「若いうちにハードな仕事を経験しておきたい」と住宅建築(住建)を担当する部署を希望し配属へ。そこで10年ほど営業としてのキャリアを積んだ。その後東京勤務などを経て、2016年から大阪本社にある現在の部署で「システムバス関連の商品・営業企画」の仕事に就いている。主に商品販売の戦略を練り、プロモーションの企画、実行を担う仕事だ。

ー組織の限界を越えたい

 レンタル移籍のきっかけになったのは、2018年度12月に行われた中堅社員向けの社内研修だった。その研修で「人生100年の働き方を考える」こととなり、濵田さんはあらためて自分自身の働き方を見つめ直した。

 「この先の人生を生きていく中で知識や人脈、考え方を広げて、もっと自分自身を成長させなあかんと思いました。じゃあどうしようかと考えたときに、このレンタル移籍制度を思い出したんです。ベンチャーで仕事をしてみたいという願望もあったので、会社にいながらベンチャーで働けるこの制度をいつか利用してみたいと思っていました。でも『いつか』と先延ばしにしていては、一生挑戦できない。この機会を逃してはいけないと思ったんです」

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 レンタル移籍は、自分が関わる住建の未来を考えたうえでの挑戦でもあった。今後は日本の人口の減少に伴い、住建の需要は減少すると予測されている。今後はもっと新しいやり方を模索し、イノベーションを起こす必要があると濵田さんは考えていた。組織の中だけでは限界がある。もっと外の情報を取り入れないといけないんだ、と。

 だからこそ、移籍先も東京ではなく大阪を選んだ。商売に厳しい街でベンチャー企業の一員として働き、その環境下で活きる経験を得たかった。移籍が終わった後も、得た人脈を活かせるかもしれないという期待もあった。

 濵田さんが移籍先に選んだ「YOLO JAPAN」は、226ヵ国16万人以上の在留外国人が登録している日本最大級のメディアを運営し、日本における外国人の雇用に取組んでいる会社だ。さらに濵田さんが着任する直前に、宿泊・カフェ・イベントスペースを設けた複合施設「YOLO BASE」が、新今宮にオープンしたばかりだった。

 ベンチャー企業といえど、YOLO JAPANは株主に電鉄会社や、不動産会社など大手企業が名を連ねる。複合施設のオープニングセレモニーには、大阪市の副市長や浪速区長など行政の要人も参加し、ニュースにも取り上げられた。その様子を見た濵田さんは、「なんじゃこりゃあ」と予想外のスケールの大きさに、思わず感嘆の声をあげたそうだ。

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ー未知の領域、YOLO JAPANへ

 移籍してすぐに、濵田さんは「イベントプロデューサー」を任されることになった。出勤初日には、代表取締役の加地太祐さんから「ひとまずイベントスペースを使って、月100万円ぐらいの売り上げを目指してみようか」と言われ、困惑したという。

 「いわゆるレンタルスペースのレンタルで月に100万円を得る。これまでイベントをやったことはないし、在留外国人が何に興味を持つかもわからない。そもそもその時点では、YOLO JAPANがどんなことに取組んでいる会社なのかもわかっていませんでした」

 さぁ、まずは何をすべきかと、濵田さんが一番最初に取り組んだのは、イスを数えること。このイベントスペースはどのくらいの広さがあって、イスが何個あって、机が何台あるのか。第一歩目は、この場所を知ることからだと。マニュアルも前例もない、まさにゼロからつくりあげる仕事がスタートした。

 レンタル料金などのルールの取り決め、契約書など関連する書類の作成、WEBなど広告媒体の制作など、自分で考え、ひたすらに手を動かす。これまでの仕事と、スピードも手順も使用するツールも違う環境に、最初は戸惑うこともあったそう。

 「いきなり会議中に『googleドキュメントで共有しますね』と言われて、オンラインでどんどん資料が更新されていく。これまでもそれなりにPC使っていたはずなのに、急にITオンチになった気分でした。しかもコロナの影響ではなく、元からミーティングはオンライン。最初はカルチャーの違いについていくのが、大変でした」

 しかし持ち前の対応力を活かして、どんどん新しいツールも使いこなし、YOLO JAPANの風土になじんでいった濵田さん。「これってどうやるの?」と若いスタッフにも積極的に質問し、コミュニケーションをとることで、早くYOLO JAPANの一員になれるようにと心がけていたそう。

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ービッグイベント開催へ向けて

 イベントについてのノウハウも、働きながら身につけていった。移籍後すぐに、加地社長が登壇するイベントが決定。イベントをどのように受注し、段取りをとるのか。見積もりもこの時、初めて作ったそうだ。担当は濵田さんだけ。まさに背水の陣だ。

 「これまで社内で何かをするときは、何人ものハンコをもらってようやく決定となることばかりでした。でもYOLO JAPANでは、社長に最終決裁をとるのも僕の仕事。全部が初めてのことばかりなので聞きながら、調べながら、何とか乗り切りました」

 ほっとしたのも束の間、11月の勤労感謝の日に3000人規模のビッグイベント「YOLO JAPAN FESTIVAL」を開催することが正式に決定。濵田さんは、その取りまとめ役に抜擢されたのだ。しかし、開催まで二ヵ月を切っていた。外国人向けのフェスティバルということしか情報がないまま、とにかく急げと巨大イベント開催に向けて走り出した。

 前例もない、時間もない、とにかくやるしかない! と走り出した濵田さん。後編では、このビッグイベントをどのように乗り切りったのか。さらにコロナウイルスの影響で大きく変化した環境下で、濵田さんはどのように危機を乗り越えていったのか。後編もお楽しみに!

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協力:パナソニック株式会社 / 株式会社YOLO JAPAN
文:三上 由香利
写真:其田 有輝也

 

【レンタル移籍とは?】

大手企業の社員が、一定期間ベンチャー企業で事業開発などの取り組みを行う、株式会社ローンディールが提供するプログラム。ベンチャー企業の現場で新しい価値を創りだす実践的な経験を通じて、イノベーションを起こせる人材・組織に変革を起こせる次世代リーダーを育成することを目的に行われている。2015年のサービス開始以降、計43社118名のレンタル移籍が行なわれている(※2020年12月1日実績)。

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