「職人一筋30年の大企業キャリアから一転。ベンチャーに飛び込んで見つけた製品開発のヒント」トヨタ車体株式会社 北垣達哉さん


「30年間の経験と築いてきた立ち位置。このまま変化しないでいいのだろうか…?」
1993年にトヨタグループのボディメーカー・トヨタ車体株式会社に入社し、勤続30年になる北垣達哉(きたがき・たつや)さん。デザイナーが描いたデザインスケッチを立体にしていくモデラーの仕事を約30年間続けてきました。長い時間をかけて製品化に至った車が街の中を走り抜ける姿を見た時に、喜びを感じると話します。職人の世界で働いてきた北垣さんがベンチャー企業への「レンタル移籍」を志望したのは、「車のつくり方だけでなく売り方も考えていかなければならない」という会社の方針を受けて、「デザイン開発ひと筋でやってきた自分にもできることがあるのか試してみたかったから」とのこと。
赴いた先は、病気で諦めていた願いを叶える、医師のつくる旅行会社「トラベルドクター株式会社」。福祉車両を活用するベンチャーに行くことで、新たな視点が見つかると考えたのです。医療×車両という接点を持つことで、北垣さんはどのような気づきを得たのでしょうか。

外に出て得たかった「経験値」と「車両開発のヒント」

――30年近くモデラーとして働いてきた北垣さんが、なぜ、ベンチャーで働いてみようと考えたのでしょうか。

自動車業界がどうなっていくかわからない危機感の中で、社内で車をつくるだけでなく売り方にも注目しようという動きがあり、その一環として「レンタル移籍」が社内で始まりました。

同じ時期に私は基幹職研修を受け、マネジメントするにあたって今の自分の経験や立ち位置のままでいいのかなという思いがあったんです。そのタイミングで外の世界でチャレンジできるレンタル移籍が始まることを知り、応募してみようかなと。

――マネジメントスキルを学ぼうと?

マネジメントに限らず、もっと大きな単位で物事の成り立ちみたいなところを知るチャンスだと感じました。あと、これからは電気自動車が主流になるだろうという潮流も踏まえて、未来のモビリティを開発するハイテク系ベンチャーに行ってみたいという気持ちもあったんです。

――トヨタ車体に持って帰れるものも、見つけにいくイメージだったのですね。そうした中で、なぜトラベルドクターを選んだのでしょうか。

ハイテク系ベンチャーも考えたのですが、トヨタ車体では福祉車両の開発も行っているので、体の不自由な方を旅行にお連れする事業を通じて、車両開発のヒントを得られるのではないかと思いました。私自身の経験値を上げることはもちろんですが、トヨタ車体に還元できる技術的な知見も得られたら、言うことはないなと。

――とはいえ、30年やってきた業務や職場とまったく異なる環境へ行くことに、ためらいや不安はなかったですか?

割と楽観的に考えるほうなので、あまり深く掘り下げずに飛び込んだ感じでした。社内初の試みということもあり、職場の上司や同僚のほうが「大丈夫? いけるのか?」って、不安そうでしたね(笑)。

「自分なりにやってみて」に戸惑う日々

――いざベンチャーに移籍して、環境の変化にはすぐ慣れましたか?

移籍したのは、トラベルドクターが事業を立ち上げて1年くらいの頃でした。代表の伊藤さんが私を引き入れてくれたんですが、当時は滋賀県の事務所に社員の方が1人、東京の事務所には伊藤さんしかいない状況だったので、一緒に仕事を進める相手は伊藤さんだけ。その環境に戸惑いました。

伊藤さんの指示が、「自分なりにやってみてください」だったことにも驚きました。

自分の中でわからないことがあったらすぐ先輩や上司に聞くことが癖になっていたため、そのやり方に馴染めずいたので最初は何をしていいかわからなかったですね。

自分なりにやることを決めて伊藤さんに伝えても、「どうしてそう思ったんですか?」と聞かれるばかりで、どう進めたらいいのかわからなくて。でも、そのやり取りのおかげで、考えるクセがついていきました。

――具体的には、どのような業務を任されたのでしょうか。

移籍した2週間後に医療系のイベントに出展する予定があったので、ブースの設営や訪問してくれた方の対応を担当しました。設営の準備はモデラーの仕事に通じるところがあったので、最初の仕事としてはやりやすかったです。

ただ、営業に近い対応業務はほとんど初めてだったので、準備期間に事業内容や受け答えを伊藤さんにレクチャーしてもらい、当日はがむしゃらにやりました。とにかくトラベルドクターをより多くの方に知ってもらおうという思いで。

――壁にぶつかるようなことはなかったですか。

展示会に関してそこまで大きな戸惑いはなかったのですが、その後クラウドファンディングの返礼品の準備を任された際に、躓きましたね。Photoshopやillustratorを使って返礼品のパッケージをつくる業務だったのですが、私はソフトをほとんど使ったことがなくて、使い方を学ぶところからでした(苦笑)。

でも、移籍前の面談では、使えるような感じで話してしまったんですよね。伊藤さんも「北垣さんはデザイン部門の人だから使えるだろう」と思っていたようなので、不安にさせてしまっただろうと思います。

当初の私は、ソフトを使える社員さんがいて使い方を教えてもらえるだろうみたいな安易な気持ちでいたのでそのような伝え方をしたのですが、その姿勢がよくなかったと、今は反省してます。伊藤さんと話し合いのうえ、別の業務に挑戦することになりました。

展示会でお客さんに説明する北垣さん

2週間で300軒の飛び込み営業ができたワケ

――その後はどのような業務を担当したのですか。

「事業の運営を経験したい」という私の希望を伊藤さんが汲んでくださって、2度目のクラウドファンディングの舵取りを任せてくれました。2022年頭から動き出し、3月に支援者の募集開始、5月に達成の計画だったんです。

でも、私の準備不足で募集開始は6月になりました。今振り返ると、企画開始時の私は本当に安直だったなと。当時トラベルドクターがメディアに取り上げられていたこともあり、SNSなどを活用すれば多くの支援者に届くと軽く考え、何の試算も出さずに企画案を提出したんです。

伊藤さんからは「本当にこれでいけるんですか?」と返され、何度もやり取りを繰り返した4月頃に、「これだと成功しないからやめましょう」と言われてしまって。

そのひと言で危機感を覚えましたね。漠然と多くの人に届けるのではなくピンポイントに情報を届ける方法を考え直し、ターゲットとした関連施設をリスト化して、届ける手順なども詰め、ようやく6月にスタートできたんです。

――反響はいかがでしたか。

前回のクラウドファンディングの支援者やリストアップした関連施設に事前にメールを送ったこともあり、最初は順調だったんです。ただその後はなかなか支援者が集まらなくて。

伊藤さんと話し合い、都内のクリニックを中心に直接訪問して話をすることに決めました。梅雨明けの暑い時期だったんですが、自転車で毎日20軒、2週間で300軒近くの診療所を巡りましたね。

――300軒に飛び込み営業したってことですか!?

そうです(苦笑)。その結果、クラウドファンディングは目標額を達成しました。話を聞いてくださる先生もいる一方で、門前払いや、支援まではいかないけど同じ思いを抱いている先生もいるといったデータが取れたことも成果のひとつかなと思います。

――営業経験がないにもかかわらず、飛び込み営業に行けた原動力はどこにあったのでしょうか。

今思えば、モデラーの経験からくるものだと思います。デザイナーの描いたラフスケッチを形にする作業って、クレイ(粘土)で形成してみないことには進まないんです。答えを想像しアクションを起こながら結果をアジャストさせていくの事が大切という経験があるので、飛び込み営業をしたほうが早いと感じたのでしょうね。まさかモデラーの経験が、こういう形でつながるとは思いませんでした。

伊藤さんからも「北垣さんは行動力を伴うアクションに長けてる」と、言っていただいたんです。移籍中に介護施設でスピーチする機会があったのですが、その時も「北垣さんの言葉は強い」と評価していただき、対人の活動が向いていると判断してくれたのかもしれません。

北垣さん(左)と、代表取締役・伊藤さん(右)

現場に出たからこそ気づけた「+αの価値」

――移籍の目的だった福祉車両開発のヒントは得られましたか?

はい。もともと伊藤さんが私を受け入れてくれた理由のひとつに、車体のプロというところがあったんです。トラベルドクターでは、自社の介護タクシーでお客様をお迎えする事業モデルを考えていて、「願いを叶える車両づくりで力を借りたい」と言われていました。

私も福祉車両の選択肢の中で、リアゲート(※車両後方に設置された扉)が開いて、リフト機構(※車椅子やストレッチャーに乗ったまま乗り降りできる設備)がある車がいいといった考えはありましたし、実際に運用可能なところまで架装ができました。ただ旅行に帯同し、介護タクシーに同乗すると、機構以外にも重視するべきところが見えてきました。

たとえば、シートと窓の高さ。ただの移動手段ではなく、満開の桜や輝く海が見えてきた時に「キレイだね」と共有できる空間にするには、今の車両だと窓から外が見えにくい。そういった+αの価値観があることに気づきました。

あと、いままでは車椅子に座ったまま乗車できることが福祉車両のメリットと捉えていたのですが、車椅子から通常のシートに移れたほうが負担が少ないという発見もありました。介護する側の利便性だけでなく、介護される側の心地良さも大切なんだと。

――現場に出たからこそ、気づけた部分といえそうですね。

そうですね。介護タクシーを利用する方や介護施設の方から「こんな機能がほしい」と、直接要望を聞けたこともよかったです。これまでは利用者の声が聞こえづらい場所にいたんだと、再認識できました。

医療現場にいるトラベルドクターと車両開発を行うトヨタ車体が接点を持ったことで、現場と開発部門、それぞれが感じていた不便さを共有し、前に進むきっかけをつくれたことは大きな価値につながると思います。これからも連携を取りながら、理想を現実にしていきたいですね。

お客さんの旅行に同行してお客さんにも乗り心地を聞きながら、自身でも座り心地を確かめ、福祉車両のあり方を考え、改善に務めていたそうです

「全体を見ること」「人とつながること」の大切さ

――レンタル移籍を通して、改めてどのような学びがありましたか。

よく伊藤さんから、「北垣さんは枝葉ばかり見ている。森でもなく、山を見てください」って言われました。一部に集中するだけでは本質に辿りつかないから、広い視座を持って見ろってことですよね。

大企業は、所属する部署の業務に特化して集中できる環境が整っている一方、何のためにその業務をしているのかという本質の部分が薄れやすい。その点、ベンチャーは明確な目的があって、そのために営業から経理、総務まで動いていると実感して、事業全体を見ることの大切さを認識しました。

クラウドファンディングの事業では、事業を行う理由を理論立てて考えるとターゲットが定まり、そのターゲットに向けてアプローチするから事業が成功するといったサイクルを経験させてもらいました。全体を見ないと事業は動かないんですよね。

――ベンチャーに赴いたからこその気づきですね。

飛び込み営業や旅行への帯同などから、人とのつながりの重要性も知りました。外に出て人と話すことが刺激になり、こちらからも発信することでさまざまな価値観に気づけるという学びになったんです。

また、人に協力してもらうことの大切さも学べました。1人では何も動かせないですが、伊藤さんや診療所の医師、介護施設の方々など、いろいろな方面の方から話を聞くチャンスが増えると、事業を進めるヒントも増えていくんですよ。いままではそういう環境にいなかったことを痛感しました。

レンタル移籍中、メンターの後藤さんに助けられたこともつながりのひとつ。伊藤さんと私の間に立って互いの思いをうまく伝えてくださったことで、伊藤さんとの連携も強化されましたし、並走してくださったおかげで孤独感を感じずに済みました。無事完走できたのは、メンターという存在がいたからこそ。

キャプション:看護師・カメラマンなどトラベルドクター他のメンバーも交えた、北垣さんの送別会にて

福祉にも貢献している会社であることをもっと知ってもらいたい

――移籍が終わってからは、モデラーの業務に戻られたのですか。

モデラーではあるのですが、車体から加工設備を扱うグループに移りました。そこと並行して車両企画の部署にも所属し、顧客目線で新たな価値や企画を提案していく活動にも参加して行こうと思います。

――既に新たなものを提案しようと動いているのでしょうか。

トラベルドクターに移籍した経験を生かして、福祉車両の領域を拡大していきたいと考えています。

移籍中、トヨタ車体でトラベルドクターに関する講演会を開催したんですが、その際にトヨタ車体から寄付金を出してもらいました。その寄付金を元手にトヨタ車体グループの社員の親族や知り合い、トヨタ車体が運営している介護福祉施設の方々の中から希望する方1名を、介護タクシーでの旅行に招待するプロジェクトを発足しました。

このプロジェクトをきっかけに、トヨタ車体が福祉車両の事業を行っていることを知ってもらいたいという思いがあります。会社としても、もっとアピールしていい分野じゃないかと。

――今はまだアピールが少ないという印象ですか?

そうなんですよね。トヨタ車の生産メーカーとしては認知されていますが、福祉にも貢献している部分は埋没している気がします。誇りを持って福祉車両に携わっている社員がいることを知ってもらいたいし、アピールすることでトヨタ車体の価値も上がると思うんです。

ただ私1人では難しいので、まずは社内の人間に面白そうだと思ってもらい、少しずつ仲間を増やしていくため、旅行プロジェクトを進めているところです。反響が大きければ「福祉車両に関する車両提案を企画したい」と発信しやすくなると思うので、まずはその一歩としてプロジェクトを成功させたいと考えています。

2022年4月、トヨタ車体にて。北垣さんのレンタル移籍の報告がてら、伊藤さんもトラベルドクターの講演を行いました

大企業を飛び出し、未知の環境で自身のスキルを試しつつ、車両開発のヒントを探した北垣さん。思い描いたとおりヒントを得ることができましたが、それ以上の気づきとなったのが、「環境が変わっても経験は生かせる」ということ。モデラーとしての姿勢が営業の分野でも生かされたことは、思いがけない発見でした。トヨタ車体に戻ってからも発見を積み重ね、新たな価値を見出していくことでしょう。

Fin

 

【ローンディール イベント情報】

「事業創出や変革を推進できるリーダーを育てる『レンタル移籍』とは?」
本セミナーでは、越境学習に注目が集まる背景に加えて、レンタル移籍の仕組みや具体的なサービスの詳細などをお話してまいります。さらにはレンタル移籍経験がどのようにリーダーシップを育むのか、そして組織へどのように還元されているのか、多様な業種の導入事例をもとにお伝えいたします。

協力:トヨタ車体株式会社 / トラベルドクター株式会社
インタビュアー:有竹亮介(verb)
撮影:宮本七生

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