「やってみないとわからないことが多い。だからこそやってみる」その結果・・・
→第1章「営業には向かない。それでも7年以上も続けたワケ」
→第2章「営業の売上だけが貢献ではない」
目次
【第3章】
“プロダクトは変えてはいけない”という先入観
ー初めての受注は突然に……!
600社で少しずつ貢献が増えていった神田は、「600」の知見も深まり、営業先に対しても柔軟な提案ができるようになっていた。
そして、交渉を続けていたある企業から初めて受注した。
しかも初受注にして、複数台の同時受注。
神田は心から安堵した。
契約先は大手企業が運営するコワーキングスペース。600社に来てから、何度も交渉を続けていた相手だ。
MRの営業の時も何度もドクターにヒアリングに行った。複数回訪問して話を聞くと、相手の求めているものが見えてくる。そうすると的を外さなくなってくる。
今回も時間はかかったが、何度も会いに行った。過去の経験が活きて、嬉しかった。
また、神田は補充作業もやっていたので、どんな場所でどんな物が売れるのかというノウハウが蓄積されていた。例えば、オフィスで意外にもプロテインが売れていたり、それは現場を見ていたからこそわかることだった。
それも、説得力のある提案につながったひとつの要因だと考える。
初受注をきっかけに、その後もオフィスやマンション、ビルなど、少しずつ受注が増えていった。
気付けば移籍も折り返し地点。
残り3ヶ月になっていた。
ここで神田は、事業開発に着手することになる。
ー「えっ? プロダクトって変えていいんですか?」
相変わらず興味を持ってくれる企業は増えている。
しかし導入には至らないケースも多い。
それらの企業に対して、「600」をベースに新たなサービスを出そうという話になり、600社の事業開発担当者とともに、神田はそのミッションを担うことになる。
神田が営業先でヒアリングを重ねた結果、値段がネックで導入に至れないケースが多かった。例えば、「使用したいが、月額でお金は出せない」「オーバースペックだ」という声。
そこで「600でローテクモデルを作れないか? コストを抑えて先方が必要な機能だけを搭載したモデルにすればいいんじゃないか?」という案に至った。
しかし、神田はここで立ち止まる。
それは、「そもそも「600」というプロダクトを変えていいんだろうか?」という意識からだった。
神田が今まで営業で取り扱ってきたのは「薬」。
製薬は規制業界で、完成された「薬」というプロダクトそのものを変えるということはあり得ない。価格を変えることもできない。売り方を工夫するしかない。
また、「600」に対する、久保やメンバーの愛情がわかっていたからこそ、大切に作ったプロダクトをそんなに簡単に「変えよう!」なんて言っていいのか? そう考えた。
つまり、現状のサービスの価格や内容を変えることがタブーと思い込んでいた。
そんな時、たまたま「LoanDEAL Salon」という、先輩移籍者がベンチャー企業での経験を発表する会に参加した神田は、NTT西日本の移籍経験者・新田の話を聞いて、勇気をもらった。
新田は、ベンチャー企業でプロダクト開発を行ったのだが、ユーザーへのヒアリングに力を入れ、その結果を社内にフィードバックし、製品の改良を提案していた。新田は製品そのものをより良くしていく努力を欠かさなかった。
当たり前のようにプロダクトを改善しながら、事業開発していた新田の話を聞いて、「事業開発とはこういうことか……」神田は思った。
そのプロダクトを使う相手のために、より良くできることがあれば、改良していくのは当然。しかし長く規制業界にいたためその発想が抜けてしまっていた。
神田は原点に戻れた気がした。
そして神田は、久保に、機能を絞った新モデルの件を提案した。
「やってみたらいいんじゃないですか?」
久保からGOが出た。
神田はBDチームのメンバーと、新モデルについて詰めていった。
要点は月額費用を下げること。その代わりに機能を絞ること。
既存モデルは、不特定多数の人が出入りする環境を考慮してセキュリティ機能を入れているが、新モデルでは同機能をカットし、QRコード決済に代替することで低価格での提供を可能とした。
ここにたどり着くまで、様々な検証を行った。
正解はないのだから、やってみては改善する、ということを繰り返した。
「これで、今まで導入に至らなかった企業にも受け入れられるだろう」
ある程度の売上の見込みを立てたところで、神田はチームメンバーと新モデルの販売を開始した。
↓ その時のプレスリリースがこちら ↓
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000034624.html
今回の経験を通じて、神田は、“やってみないとわからないことが多い。だからこそやってみる”、という、事業開発の方法を身につけた。
ー1+1の方程式では、世の中は変えられない
移籍終了が見えてきた2月頃。
神田は、アステラス製薬に戻ってからの事業開発を考える上で、今までと大きく視点が変わっていることに気がついた。
それは、ただ目の前の課題を解決するだけではなく、それが社会にどう影響を与えるかまでを描いて考えようとしていることだった。
例えば、ある特定の疾患を治すための製品を開発すると仮定する。
その製品が市場に出ることによって社会がどう変わるのか? どんな社会の課題を解決するのか? そこまで先を描いて開発していくことが重要だと考えるようになった。
目の前の課題をひとつずつ解決することはもちろん大切だが、1+1の方程式でやっていては世の中を大きく変えることはできない。
今までの神田は、目の前の課題しか見えていなかった。
600社でいうと、久保自身の「時間ロス」をなくしたいという課題から始まり、「600」というプロダクトを通じて、目の前の時間ロスという課題を解決しながら、新しい“当たり前”を社会に根付かせようとしている。
「600」の利用者が増えることで明らかに人の行動が変わっていく。
一人一人の時間の使い方が豊かになり、ライフスタイルにも大きな変化をもたらすだろう。ひとつのプロダクトが社会を変えようとしている。
その現場に触れたことで、神田は、目の前の課題と社会の課題をリンクして考えられるようになった。
———気付けば3月。
もうすぐ移籍が終わろうとしていた。
ーマイノリティだったから自分を見つめ直した
そして移籍終了を目前にした3月末。
「もう終わっちゃうんだ……」
神田は寂しさを感じていた。
ようやく600社でも営業の実績が出てきて、新モデルのローンチを経験できた。目まぐるしくあっという間の日々。いろんなことがありすぎて、とても半年の出来事とは思えないほど。それがプツリと終わってしまう。
思えば4ヶ月前、「もう、アステラス製薬に返して欲しい……」と思っていた。今となれば当然やりきって良かったと思うし、もはや懐かしい。
移籍最後の日は、盛大な送迎会で見送られた。
600社に出会えたことで、こんなにも視野が広がるとは思ってもみなかった。たった半年間でこんなに濃厚な経験ができるなんて想像すらしていなかった。
もしかしたら、初めてマイノリティの現場を経験したかもしれない。
マイノリティだと自分から積極的にやらざるを得ない。そうしないと何も貢献できない。
自分を見つめ直し、周囲に対してできることを考え、色々とやってみた6ヶ月だった。これらを30代前半で経験できたことは、間違いなく今後の大きな糧になる。
神田は、感謝と共に600社を後にした。
「600」を囲んで。神田(左)、アステラス製薬の神田の上司・渡辺(中央)、600代表 久保(右)
→ 最終章「わからないから止まるのではなく、わからないからこそ進める」へ続く
(※1)「レンタル移籍」とは?
大手企業の社員が、一定期間ベンチャー企業で事業開発などの取り組みを行う、株式会社ローンディールが提供するプログラム。ベンチャー企業の現場で新しい価値を創りだす実践的な経験を通じて、イノベーションを起こせる人材・組織に変革を起こせる次世代リーダーを育成することを目的に行われている。2016年のサービス開始以降、計24社48名以上のレンタル移籍が行なわれている(※2019年8月現在)。→ お問い合わせ・詳細はこちら
協力:アステラス製薬株式会社、600株式会社
Storyteller:小林こず恵