「国だからできること」その答えを探して【経済産業省 伊藤貴紀さんのベンチャー移籍物語 -前編- 】


「自社にしかできないことをやりたい」
それはどの企業に属する人も願うことではないでしょうか。
他社より圧倒的優位性のある事業やサービスを見つけることは、経済合理性を追求する上でも、自分たちの社会的意義を実感する上でも、理想的なことです。
ですが、どうすれば「自社にしかできないこと」を私たちは見定められるのでしょうか。競合分析が重要なのでしょうか。それとも自社リソースの深い理解が必要でしょうか。
もちろんその答えは業界や組織体によって様々ですが、経済産業省の6年目省員、伊藤貴紀さんは、ある日こんなことを考えました。
「民間企業ができないことをやるのが自分たちの仕事。でも自分は、”民間企業ができないこと”を理解しているんだろうか」

彼がベンチャー企業への移籍を希望したのは、この素朴な疑問を捨てきれなかったからでした。移籍したのは世界初の排泄予測デバイス「DFree(ディー・フリー)」を展開する「トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社(以下TWJ)」です。経済産業省で政策立案に取り組んできた彼がTWJで向き合ったのは、新サービスのターゲットを深堀するマーケティング業務でした。

今回のインタビューの最後、彼は「頑張ったなーって思いますね」と振り返り、笑いました。経済産業省とは「180度違う」と言っても過言ではない異なる環境で彼は何を思い、気付き、学んだのでしょうか。”よそもの”として過ごした8ヶ月の軌跡に迫ります。

インタビュアー:太田尚樹

 

※バナー写真右:経産省 伊藤氏、左:トリプル・ダブリュー・ジャパン代表 中西氏

「市場の失敗」に「行政も失敗」を重ねないために

ーまず初めに、移籍前に取り組まれていたことについて聞いてもいいですか?

はい。えーと…、太田さんは「JIS法」って分かりますか?

ーあー、「JISマーク」の?

そうです。その「JISマーク」をどうすれば工業製品に貼っていいのか、「JIS」をどうつくるのか、それを決めるのが「JIS法」なんですが、その法律改正に取り組んでいました。

ーなかなか自分とは縁遠い世界の話で…、興味深いです!

そうですよね(笑)。「JIS」には古い歴史があるんですが、時代が変わるにつれて「JIS」の制定プロセスに改善できる余地が見えてきたんですね。これまでよりもどうスムーズに「JIS」の立案から制定まで進むようにするのか。その手続きを改善するための法律改正を1年と少しやっていました。

ー失礼かもしれませんが、「法律改正」を伊藤さんのようにお若い方がやっていらっしゃるなんて、驚きました。すごいです。

いえいえ、僕一人でやっていることでもありませんし、実際は地味で地道な仕事もたくさんありますよ。最初の半年くらいは、ひたすら条文を書き続けていました。法律案が固まってから閣議決定して、そのあと国会で審議してようやく成立…という感じです。ただ、自分が書いた法律なので、やり切った時の達成感はありましたね。

ー経済産業省には、「政策」に興味があって入省されたんですか?

はい。きっかけは、学生時代に経済産業省でインターンをしたことで、そこで政策を考えることが「面白い」と感じました。例えば世の中には「市場の失敗」と呼ばれるような、ビジネスで一筋縄には解決できない社会課題がありますが、そういった課題はどういう政策を作れば解決しうるのかを考える。その思考のプロセスにワクワクしたんです。

ー難しい課題だからこそ面白い、と。

そう感じました。もともと大学時代にはソーシャルビジネスに興味を持っていて、インドでマイクロファイナンスを提供するNGOでのインターンも経験したり、日本では教育系のNPOでインターンをしたりもしました。けど、その時の自分は政策でどこまでできるのか知りたいと思って、入省を決めました。

ーでは今の仕事はピッタリですね。

そうですね。入省してこれまでずっと楽しめてきたと感じています。
でも一方で、「このまま働いていて、自分が経産省でやりたかったことができるのか」と疑問を持つようになりました。先ほど話した「市場の失敗」領域のような、ビジネスではカバーしきれない、政府だからこそ対峙すべき社会課題がこの世にはあると、僕は思っているのですが、その課題を見定めるには、逆説的に「この課題は民間で解決できる・できない」というのをもっと理解しておく必要があると思いました。だけど、それを自分は全然理解していないよな、と。

ベンチャーは「スーパーマンがいる所」ではない。
見えてきた自分の強み

ーそれが移籍の動機につながったんですね。

きっかけは、「ベンチャー派遣制度が始まります」という案内を見たことだったんですが、「これだ」と思いました。応募は30名ほどあったそうですが、無事に選んでいただけて嬉しかったです。

ーすごい倍率だったんですね。でも、いざ本当に「移籍」すると決まった時、不安にならなかったですか?

どうでしょうね……、確かにそれはあったと思います。移籍の動機は明確でも、自分がいったいどこまで何をできるのかは、分からなかったですから。なんとなく「頑張ったらそれなりにはできるかな」とは思っていましたけど、具体的にどんな世界で、何を自分ができるのか、やっぱり想像もついていなかったです。

ーそんな何も検討がつかない、右往左往する状態から、いざ移籍して、目線がグっと定まったような出来事はありましたか?

自分に何ができそうか見え始めたのは移籍してすぐではなかったですが、実際に初めて自分で「DFree」を装着させてもらった時は実感がわきましたね。「これはすごい!」と興奮しましたし、このサービスを広めるために頑張るんだと思うとワクワクしました。

ー実際の商品を体験できると、ぐっと自分ごとになりますよね。移籍してまず取り組むことになったのは「DFree」のBtoCマーケティングだと伺いましたが、まだ始まったばかりのプロジェクトだったんですよね?

そうですね。私の前任の方もローンディールで移籍してきた方で、その方が「DFree Personal(ディー・フリー・パーソナル)」という「DFree」の個人向け商品のローンチにこぎつけたところで移籍期間終了となりました。私はローンチした「DFree Personal」をこれからしっかり売っていこうというタイミングで、商品ターゲットを深堀して、効果的な拡販方法を見つけていこうという、マーケティングを強化するフェーズでした。

ーまさにビジネスの「現場」がこれから生まれていくタイミングですし、「ビジネスでできること」が体感できそうですね。

そう思いましたね。ワクワクしました。でも、今振り返ると、最初のうちはやっぱり何も分かってなかったです(笑)。タスクとしてはたくさん貰いましたし、なんとかこなしてはいたのですが、本質的に「DFree Personal」をより良くしていくためには何をすべきか、求める人の手に届けていくためには何をすべきか、と考えた時には検討もついていなかったです。例えば、ターゲットの「ペルソナを考える」ということもやったことがなく、マーケティングの世界のことは全く知りませんでした。

ーずっとマクロな仕事をされてきたのが、急にミクロな仕事になったわけですから、すごくタフな転換ですよね…! その後「分かってきたぞ!」というタイミングはいつきたのでしょうか。

「分かってきたぞ!」まではもう少し時間がかかりましたけど、「もっとやれるんじゃないか?」と自分に期待でき始めたのは、1ヶ月が過ぎた頃でした。ベンチャーって、入る前は「スーパーマンがたくさんいる所」というイメージがあったんですけど、1ヶ月ほど一緒に過ごしていると「みんな同じ人間なんだな」と分かりました(笑)。誰だって同じようなことに悩むし、地道に仮説を立てて検証して、ということを泥臭くやっている。自分と変わらないなと思えました。

そして、そう思った時に、自分が経産省で培ってきた力と、ここで求められていることが地続きだと思えたんです。「政策を立案する」という仕事は「進めながら考える力」がすごく求められるんですが、それはベンチャーで働く上でもとても大事な力だと感じました。正解が見えない局面にこそ、考えながら動いていくっていうことはもっとやれるんじゃないかと思えました。そこからですね、自分から「こうした方がいいんじゃないか」とチームに提案し始めるようになったのは。

ピッチで磨かれた「不完全でも一歩前に出る勇気」

ー1ヶ月でご自身のこれまでのご経験と、組織からのニーズを接続できたんですね。ラーニングが早い…!

いえいえ、とんでもないです。実際そういった自信がわいたのも束の間で、2ヶ月目に入ったら、これまでの経験と全く接続しないスキルを求められましたから(笑)。シンガポールで行われたピッチセッション(各社5分ほど与えられ、自社のビジネスの可能性をプレゼンテーションするセッション)に単身参加することになったんですが。

ピッチセッション中の1枚

ー(笑)それはまた刺激的な急展開ですね。

そうですね。あの経験は本当に大きかったです。社内では比較的英語が話せた方だったので「じゃあ伊藤くんに行ってもらおう!」くらいのノリで任されたんですが、最初は「やります!」と気楽に答えたものの、考えてみたらピッチを日本語でやったことさえない。そのうえ「英語で」となるとわけが違いました(笑)。自分と並んでピッチをするのが起業家ばかりだった、というのも緊張しましたね。

そんな状況で、自分が会社の代表として何を話すのか、どんな資料にするのか、考え抜いて何回も練習するわけですが、いきなりピッチがうまくなって「完璧な話」ができるわけでもありません。それを受け入れた上で「ここだけは絶対に伝わるように話そう、このスライドではこれを伝えよう」と自分の言葉で語ろうとしていく度、一皮むけていったような気がします。

ーしびれますね…! 振り返って、ピッチセッションはどんな経験でしたか。

そうですね…。「100%の準備をする」ということができずに「不完全でも一歩前に進める」というのは、ベンチャーの重要なスピリットを学べたと思っています。あと、単純に度胸とか勝負強さが磨かれたんじゃないかな(笑)。

あの経験があったから、講演とかちょっとしたイベントに出るとかはなんとも思わなくなりましたね。「日本語だしな」みたいな(笑)。

ー間違いないですね!(笑) その後日本に戻ってからは、また「DFree Personal」のターゲットを探る日々に戻ったんですか?

そうです。最初の2ヶ月はがむしゃらにキャッチアップを続けましたが、この時期に、それまで想定していたいくつかのターゲット像から一度離れてみる判断を自分でしました。別のターゲットでどこまでいけるのか試すことにして、ひたすらいろんな所に出向いて試すと決めたんです…。

伊藤さんの移籍物語、前編はここまでです。

TWJに移籍し、たった2ヶ月でたくさんの「はじめて」をご経験された伊藤さん。自社・自組織に所属していた時とは、求められる成長のベクトルの向きも、大きさも急激に変化してしまう、まさに ”レンタル移籍” らしいお話だと感じました。

後編では「DFree Personal」の新たなターゲットを探し、奔走された日々についてお聞きしていきます。その中で伊藤さんは、一つの学びとして、「伝える」ということの難しさ、そして大切さを学んだと語ってくれています。他にも、たくさんのことに気付いた伊藤さんの姿が、後編では浮かび上がってきます。

→後編に続く

 

 9月17日(火)トリプル・ダブリュー・ジャパン主催
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今注目のスタートアップ、大企業、オピニオンメディアのリーダー達が、「勝手な自粛を打ち破れ!」と題して、社会課題として注目されている「おおっぴらに話しにくい悩み」の解決への取り組みを語りながら、オープンなトークを繰り広げます。トリプル・ダブリュー・ジャパン代表の中西氏も登壇! スタートアップや社会課題の解決、ヘルスケアへの取り組み等に興味のある方は、ぜひこの機会に話を聞いてみてはいかがでしょうか?

https://dfree-speakout.peatix.com

レンタル移籍とは?

大手企業の社員が、一定期間ベンチャー企業で事業開発などの取り組みを行う、株式会社ローンディールが提供するプログラム。ベンチャー企業の現場で新しい価値を創りだす実践的な経験を通じて、イノベーションを起こせる人材・組織に変革を起こせる次世代リーダーを育成することを目的に行われている。2016年のサービス開始以降、計24社48名以上のレンタル移籍が行なわれている(※2019年8月実績)。→ お問い合わせ・詳細はこちら

 

 

協力:経済産業省、トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社
インタビュー:太田尚樹

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