コラム・インタビュー

越境は、なぜ人を変えるのか──異なる「当たり前」と向き合う経験が、個人と組織にもたらすもの

越境によって、人は本当に変わるのでしょうか。

越境の効果が広く知られるようになった一方で、企業からは「本当に行動が変わるのか」「一時的な刺激で終わってしまうのでは」「個人の経験を組織の変化につなげるには、何が必要なのか」といった問いも聞かれるようになりました。

そこで今回は、グロービス経営大学院准教授 松井孝憲氏と、旭化成株式会社で人材・組織開発に携わる三木祐史氏を迎え、「越境は、なぜ人を変えるのか」をテーマにイベントを開催しました。モデレーターは、株式会社ローンディールの東香織が務めました。

当日は、東が提示した4つの問いを起点に、研究と企業人事の実践、双方の視点から議論が進みました。

異なる価値観と向き合う経験が、組織に戻ってからの行動を変える

東: 最初の問いは、「越境で人は本当に変わるのか」です。まさに今回のイベントタイトルにもつながる部分ですが、改めて松井さん、越境学習は本当に人を変えるのでしょうか。

松井: 変わると思います。ただ、企業にとって大事なのは、本人のモノの見方や考え方が変わることだけではなく、組織の中で行動がどう変わるかですよね。

越境の効果は、よく「視座が上がる」「視野が広がる」と言われます。分かるようで、具体的に何が変わるのかは、少し分かりにくい。僕が一言で表すなら、越境から帰ってきたときに、「この人、よく分からないな」と思う相手にも、ちゃんと向き合えるようになることだと思います。

越境先に行くと、相手の言っていることがよく分からないんです。ベンチャー企業やソーシャルセクターの人が、なぜそのような考え方をするのか、最初は理解できない。

でも、「この人たちは分かっていない」と切り捨てることはできません。向き合い続ける中で、「こういう環境に置かれているから、この考え方になるんだ」と、相手なりの合理性を理解していく。その経験が、越境学習において重要なのだと思います。

三木: とても共感します。

海外に行く経験も、分かりやすい越境ですよね。自分がマイノリティーになり、日本人であることを痛感したり、うまく言葉が伝わらない中でも、やりたいことがあるから一生懸命伝えたりする。

自分の「戦闘力が下がった」と感じるような環境や、価値観がまったく違う場所に置かれる経験です。

一方で、日本の中でベンチャー企業やNPOへ行く場合は、生活環境が大きく変わるわけではないので、違いが見えにくいのかもしれません。本質的には海外での経験と同じように、自分の当たり前が通用しない体験なのですが、その変化を本人も周囲も説明しにくいところがあると思います。

東: 越境先では、自分とは異なる当たり前や価値基準に触れることができる。ただ、それを元の組織へ持ち帰る際には、本人にも周囲にも、そのギャップが認識されにくいということですね。

三木: そうですね。
そもそも、境界はいろいろなところにあると思います。昔から地域で野球のコーチをしている人もいますし、育児休業を取って職場に戻ることも、違う環境に身を置く経験です。

育児によって使える時間が限られれば、生産性や段取りを意識するようになる。新しい体験があれば、何らかの学びや変化は起きています。
ただ、それを変化として認知できるか、元の職場で生かせるかというところには、やはりハードルがあります。

一度の刺激を変化につなげる、経験の「意味づけ」

東: 次の問いは、「刺激で終わる人と、変わり続ける人では、何が両者を分けるのか」です。

本人が「自分は変わり続けている」と思うことと、周囲から「あの人は越境してから変わり、その後も変わり続けている」と見えることには、違いがある気がします。
その差は、越境体験そのものによるのでしょうか。それとも、本人のマインドセットによるのでしょうか。

松井: もちろん両方あると思いますが、あえて一つに絞るなら、本人が越境体験をどう意味づけているかだと思います。
越境先で経験したことを、「自分にとって何だったのか」と振り返る。それは本人が行うことでもありますし、周囲がその振り返りを支えることも必要です。

三木: 一回行ったからといって、ずっと一つの越境先に関わり続けなければならない、という縛りはないと思うんです。次の好奇心が出たときに行ってみて、違ったら戻る。その繰り返しでいい。

僕ら人事は、学んだことをずっと続けてほしいと思いがちですが、それは施策を提供する側のエゴかもしれません。そこで得た刺激を学びとして持ち帰り、その活動をやめて新しいことを始めても、それは変化だと思います。ですから、越境した経験は決して無駄にはならないという感覚があります。

東: 確かに、一度越境した後は、「越境する前の自分」には戻れないのかもしれません。

一歩踏み出したときに得られるワクワクや、居心地の悪さを知ってしまう。それが次の探索につながることは、自分の実体験としてもよく分かります。
ただ、組織から見ると、「越境へ行ったけれど、その後は動いていない」と見えることもある。本人の中では変化が続いていても、それが現業と結びついて見えなければ、周囲からは変化として認識されないこともありそうです。

越境によって育まれる、『曖昧さの中でも動ける力』

議論の後半では、松井氏の実施していた越境プログラムについて、石山恒貴氏が共同研究を通じてまとめた書籍を紹介し、越境によって育まれる力について説明しました。

松井: 研究では、越境学習によってどのような能力が開発されるのかも調査されました。

一つは、自分と異なる意見を、自分の意見と統合できる力です。もう一つは、曖昧な業務に対処する力。何をすればよいか明確に決まっていなくても、「よく分からないけれど、一度やってみよう」と動ける力です。

ほかにも、予定通りにいかなくても大丈夫だと思える力や、忖度せず、言うべきことを率直に伝える力があります。

目の前の業務をうまくこなす力とは少し違いますが、将来的に組織の中で必要になる能力が伸びることが、調査から見えてきました。

三木: 「決まっていなくても大丈夫」と思える感覚は、確かにあると思います。

心理的な余裕という言葉が合うかは分かりませんが、曖昧なことにも向き合えるようになることで、チャレンジングなことに取り組みやすくなるのではないでしょうか。

松井: 大きな企業は組織の完成度が高いからこそ、決まったことをきちんと行うことを求められます。だから、何も決まっていない状況になると焦りやすい。
そこで、「予定外でも大丈夫」「違うことが起きても、それでも自分はやっていける」と思えることが大切なのだと思います。

三木: そのときに、「ちゃんと決めてください」と待つのではなく、「まず一回やってみよう」と考えられる。このマインドセットは、大きな会社で挑戦する上でも重要だと思います。

個人の変化を組織につなぐ、経験を認める周囲の関わり

東: 3つ目の問いは、「個人の変化が組織に波及する条件は何か」です。

越境した本人に変化が起きたとして、その経験を組織へ転用していくためには、どのような要因が必要なのでしょうか。

ここまでの話では、越境によって、自分とは異なる考え方を持つ相手にも向き合えるようになるという話がありました。

松井: 越境した本人が組織に戻ってきて新しい取り組みを行うときには、自分の言葉が相手に伝わらないことがあります。

そのときに、「この人は分かっていないから無理だ」と考えず、向き合い続けられるか。僕は、その力の方が、イノベーション人材になることや、組織を変えることにとって重要なのではないかと思います。

本編終了後のQ&Aでは、この問いに関連して、会場から「所属元の上司が越境学習を経験していることも重要なのではないか」という質問が寄せられました。

東: 個人の変化が組織へ波及する上で、直属の上司が越境を経験しているかどうかは、大事な要因なのでしょうか。

松井: とても重要です。もしかしたら、決定的な要因かもしれません。
ただ、上司が越境経験者に対して、「その経験をこう生かしなさい」と指示することが大切なのではありません。

本人のことを気にかけているけれど、口を出しすぎない。何かあったときには助けてもらえると本人が分かっている一方で、何をするかについては本人に任せる。その状態をつくることが大事だと思います。
また、越境から帰ってきた人がぶつかる壁に対して、「そういう壁があるよね」と、きちんと寄り添えることも、上司の重要な役割ではないでしょうか。

三木: とても共感します。
いわゆるインクルーシブ・リーダーシップは重要だと思いますが、これは越境したことがあるメンバーだけに向けたものではありません。

その人がどんな経験をしてきたのか、どんな個性を持っているのか、何をやりたいのか。それをどれだけ尊重できるかだと思います。

旭化成のエンゲージメントサーベイを見ても、部下の創意工夫を促している上司と部下の関係は、ワークエンゲージメントや、前向きな心理状態にも影響しています。

越境経験に限らず、会社の外での活動や、介護、健康上の経験など、その人が持っているものを周囲が認めることも大切です。

本人に対して、「その経験は、あなたの力になる」と伝える。会社の中にいる自分だけが自分ではないと認識できる状態にすることは、すごく大事だと感じます。

AI・不確実性の時代に価値を増す、正解のない状況での試行錯誤

東: 最後の問いは、「AI・不確実性の時代に、越境という手段は何の意味を持つのか」です。

ここまでのお話にあった、「決まっていなくても大丈夫」「何とかなる」「まずやってみよう」と思える感覚は、不確実性が高まり、ツールや業務プロセスが変わっていく時代に、より重要になるように感じました。

今後の時代における越境学習者の価値は、そうしたところにあるのでしょうか。

松井: この問いを見たときに一番思ったのは、大企業では、決まったことや正しいことを、速く、効率的に、高い品質で行うことが大事だということです。そこはAIが登場しても変わりません。AIを使えば、もっと速く、もっと正確に仕事ができるようになると思います。

でも、だからこそ、組織の資産になるのは、試行錯誤した経験や、失敗したプロセスではないかと思っています。

試行錯誤や失敗をしなくても済む時代になったからこそ、自分の経験として失敗することをしにいく。その実体験こそが、組織にとってかけがえのない資本になるのではないでしょうか。

人的資本経営とは、社員の頭数や比率を数えるものではなく、組織の人々が持つ多様なスキルや経験、技術を資本として認めることだと思います。そうだとすれば、今、大切な資本になるのは、手触りのある試行錯誤を通じて得た具体的な実体験です。AI時代だからこそ、その経験が組織の資本になると思います。

三木: 違和感はまったくありません。

最後にブレイクスルーを生み出すのは、人の力だと思っています。その人の個性や経験、考え方、感性を持ち寄り、AIを使いながら膨らませていく。そのような世界になるのではないでしょうか。

完成されたプロセスの中で、言われた通りに行うだけでは、突破できないことがあります。

自分がどのようなコミュニティーに関わり、どんな経験をしてきたのか。会社の外にある家庭や、昔からの友人との関係も含めて、自分は何者なのかを認識し、そのすべてを生かしていくことが重要なのだと思います。

あえて越境をするというよりも、「会社だけにどっぷり浸かっていないこと」自体が、新しい時代に必要な要素なのかもしれません。

身近な活動を『越境』と捉えてみる

イベントの終盤には、会場から「越境の価値は理解できても、社内で始めるにはハードルがある。何から取り組めばよいか」という質問も寄せられました。

松井: 僕がよく言うのは、誰かにやってもらいたい、企業のプログラムにしたいと思うのであれば、まず自分が一度やってみて、その姿を見せてはどうか、ということです。

自分の姿を見た人が「素敵だな」と思ってくれれば、「こういう経験は大事だよね」という話も広がっていくと思います。

三木: おっしゃる通りですね。
社内にも、ボランティアをしている人や、生け花を教えている人がいます。そういう人に焦点を当てて、そこでの学びを話してもらうのもよいと思います。

すでに会社の外で活動している人を見つけ、話を聞き、社内へ広げていく。さらに自分もやってみる。

新しい制度をつくるだけではなく、すでにいる人たちの活動や学びを取り上げて紹介することも、よい取り組みになるのではないでしょうか。

東: 自ら実践すること。そして、すでに身近にある活動を、越境として認知できる力をつけていくことなのかもしれませんね。


※本レポート記事は、2026年7月に開催されたオンラインイベントの内容をもとに構成しています。


レポート:管井裕歌

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